-Ex-

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  忘れてきたもの  

 強さとはなんだろうか。
 絶えず鳴り響く金属音の中で、リューグ=ムーンフリークは考えた。
 打ち掛かってくる敵の電磁ロッドを首の動きだけで回避し、背後から投じられたナイフを刀を回して叩き落す。
 上からナイフを持って飛び掛ってくるのが一人、横からスタンロッドを持って突撃してくるのが一人、更には物陰からナイフでこちらを狙っているのが二人、更に残りの二人は機をうかがうように気配を潜めている。殺意に満ちた包囲攻撃だ。リューグは戯画の狐のように目を絞って弧にすると、刀の鍔に手を添える。
 ――反射速度、筋力、頑健さ、武装。
 強さのファクターとなるものは多い。同じ体格なら筋力の高いほうに分があるだろうし、多少体格で劣っても武器が優れていればパワーバランスはひっくり返るだろう。しかし、それだけが強さではないとリューグは思う。
 強さとは、衝動だ。
 リューグが行き着くのは、いつもこの答えだった。
 鍔を回す。音遠と銘打たれた刃が振動を始め、暴れだす。まともな骨格と筋力では保持することさえままならない超振動剣ヴァイブロブレードを、しかし少年は平然と取り扱う。
 吸気一つ、迎撃するように飛び上がった。真上から襲いかかる影を、防御に回されたナイフごと白刃一閃、両断する。血と臓物を撒き散らしながら、上下二つに分かたれた一人目の犠牲者が地面へ落ちた。横から突入してきた影は肩透かしを食ったようにブレーキを掛けるが、空中で身を翻したリューグはその隙を見逃さない。頭から落ちるようにダイブの姿勢をとり、射ち込む、、、、と言う表現がよく似合う突きを繰り出す。
 まるで林檎を矢で射抜くような呆気なさで、影の頭を刀が刺し貫いた。
 突き刺さった刀を支点に、三足で着地する。脳髄を攪拌されて立ったまま痙攣する敵を、リューグは無慈悲に蹴り飛ばした。頭から刀がずるりと抜ける。抜きざまに、鋭く刀を振って血を飛ばした。夜の闇に振動剣の銀が混じり、出来損ないの三日月のように輝く。
 物陰からナイフで狙ってきていた二人と、残りの二人から明確な警戒の気配が伝わってくる。慎重に間合いを測りだす敵手を前に、しかしリューグは微塵も慌てない。
 ――人間には二種類ある。それは意識しなければ人を殺せない人間と、意識しなくても人を殺せる人間だ。
 訓練すれば――否、しなくとも、人は人を殺せる。それこそナイフの一本もあれば、子供でさえも殺人は容易だ。しかし、そこには痛痒がある。同種殺しの禁忌を破り、業を背負うことに対する恐怖がある。殺人は罪だという当たり前すぎる常識の壁がある。
 それは枷だ。
 少なくとも自分には必要のないものだ。
 人を殺すことを躊躇えば死ぬ。それを受け入れ、生きたいという衝動に身を任せた結果、リューグ=ムーンフリークは殺人狂と呼ばれるようになった。ただのナイフに始まり、それが鉈となり、刀となった今でさえ、彼の本当の武器は手にした刃などではない。その鋭利すぎる生存衝動が、彼の根幹にして最強の武器である。
 息を吸う。七分まで吸ったところで、四方から敵が襲い掛かってくる。リューグは一刀に両手を預け、石畳を蹴った。
 そのスピードは、サイボーグでさえ容易には捕捉できない。アリカがそうするような、ただ単純な速さではない。アリカのスピードが暴力的な直線だとすれば、リューグのそれは優雅な流線だ。弧の動きを端々に混ぜた変則的な歩法は、彼が強化手術で手に入れた実力に溺れていない事を示している。
 正面から来た一人目が速度に圧倒されたように歩調を乱す。彼が手に持ったナイフを順手に持ち変える前に、リューグは飛び込みざまに首を跳ねた。すぐさま足を踏みしめて反転。一瞬で全てのスピードを殺し、背後から投じられたナイフを刀で打ち払う。
 敵の動きに、恐怖が見えた。
 リューグは速度を上げる。彼は迷いも躊躇いもしない。先ほどの戦いと比べれば消化試合のようなものだった。口元に貼り付けた微笑という名の無表情のまま、一本の刃のように闇を突き抜ける。
 一度の交錯で、同じ直線状にいた二人を貫いた。間髪いれず、直進のスピードを円運動へと転化し、刃をひねって止めを刺しながら、二つの身体を振り回して投げ飛ばす。まるで串に刺さった煮物をふるい落とすような気軽さだ。投げ飛ばした二つの死体が、猛烈なスピードで残りの一人へ激突する。跳ね飛ばされて転がる最後の一人へ、地を縮めるような速度で肉薄した。
 地面に転がりながら敵が抵抗するように電磁ロッドを振り上げる。しかしそれがリューグに届くことはなかった。銀の光が一閃し、手首から先が宙を飛ぶ。
「……ぎっ……!」
 血が吹き出て、軋むような声が続く。この戦闘で初めて聞いた声だったかもしれない。それほどまでに静かな戦いだった。最初の口上以外は、自分も一声も発さなかった。
 手首を切り飛ばされて、痛みで戦意を喪失しかけながらも、敵はもう片方の手にナイフを携え、リューグの太股目掛けて切りつけようとする。しかしそれよりも速く敵の首筋に刃の切っ先が食い込んだ。凍えたように動きが止まる。
 敵は震えながら顔を上げ、ヘルメットのバイザー越しにリューグを見上げた。口元を隠すマスクの布地がかすかに動く。震え声がすべり出た。
「……悪魔め」
 リューグはその言葉に少しだけ深く笑うと、
「褒め言葉です。――それではまた、地獄で」
 首筋の刃を深く進め、敵の脊髄を砕いた。
 刀を引き抜くと、まだかすかに動く心臓の動きに合わせて血が噴出す。宙に放たれた血の飛沫は、夜気に冷まされて生ぬるい雫となってリューグの肌を濡らした。
 その飛沫が収まる前に、背を向ける。ソニック・シフトを止めて、刀から血を振り飛ばす。深呼吸を一つ、肺に残る血の匂いを追い出したとき、頬を叩く水滴に気付いてリューグは顔を上げた。
 空から落ちる雫は、すぐに数え切れない数になっていく。夜半の雨、遠雷が聞こえた。
「……嵐になりますね」
 一言だけ呟く。頬に当たる雨と、顔を汚していた血を指で拭い飛ばすと、リューグは駆け出した。仲間たちの許へ。


 アリカは苦戦していた。
 怒り任せに叩きつける攻撃の全ては、まるで予測していたかのような防御に阻まれる。何度爪を振るっても、目の前に立つ女を傷つけることが出来ない。
 アリカは前進しながら、イーヴィル・アームの拳を握り固め、突き出した。爆発的な踏み込みからのストレートパンチは、しかし空を切る。拳の下に潜りこむような回避から、もう一歩だけ踏み込んで、女は地面を右足で穿った。
「……!」
 床が砕ける音がする。女の動きが、リューグがよく格闘訓練の時に見せる拳法のそれに酷似していることに気付いた瞬間、アリカは息の止まるような衝撃を受けて宙に浮いた。
 ゼロ距離に踏み込んで肩を胴に当て、踏み込みの力と体圧で弾き飛ばす――寸勁に似た体当たり。言ってしまえば粗末な技に聞こえるが、敵が使う体術は生半なものではない。呼吸が一瞬止まり、動きが取れなくなる。その瞬間、敵は異形の両腕を、浮いたアリカの腹に突きつけた。
「ばぁん」
 快活に笑いながら擬音を呟く女の腕、その先端から銀のステークが射出された。アリカの胴に叩き込まれた杭が、皮下の擬態装甲フェイクメタルを突き破ろうと前進する。杭と装甲がせめぎあう。――それも一瞬、後方に吹っ飛ぶ自分の身体を意識して、アリカはまた射ち抜かれる事を免れたと知る。アリカは損傷した内臓から込み上げる血を吐き出すまいと飲み込み、地面を削りながら四肢で着地した。イーヴィル・アームの爪が、床に長く長く不均等なラインを引く。
 銀の腕を持つボーイッシュな少女が、視線の先でにたりと笑った。あの武器腕を喰らうたびに、内臓が手酷く掻きまわされる。猛禽の鉤爪に似た三本の爪と、砲身で構成されているあの腕は、対象を捕えた瞬間に銀の杭を撃ち出し、零距離から敵を打ち砕く射突器パイルバンカーの一種だ。数えてもう七度は喰らっている。ボディスーツの腹の部分は穴だらけだ。顔面への直撃は避けてきたが、万一頭蓋を砕かれるようなことがあればそこで終わりだろう。
 初めはそれが恐ろしかった。未知に対する恐怖が身体を縛っていた。それを超える怒りをもって身体を突き動かし、何度も打ちのめされてそのたびに血を吐いた。
 しかし、である。
 シキの死を告げられた瞬間の怒りは、がむしゃらな突貫を繰り返すうちに少しずつ小さくなってきていた。冷静になったその分だけ、シキに対する思いと万一を恐れる不安が心を占めていく。
 自分は早くシキのところに行かなくてはいけない、と。
 ――死んだなんて嘘だ。そう、シキは死なない。だってわたしが殺しても死ななかった、、、、、、、、、、、、、、んだもの。だからきっとシキは眠っているだけ。早く行かなくちゃ。シキの傍にいなくちゃ。それができるのはわたしだけだ。
 逸る想いが、アリカの中で膨れ上がる。それと同時に、恐怖が軽くなる。
 敵は今まで会った事のないほどに、ともすればリューグやザイルよりも強い、未知のサイボーグ。しかし、それを前にしても我が身を案じる気持ちは沸いてこない。ただ、あの敵を踏み越えて、シキに逢いに行くことしか考えられなくなる。
 四肢をついた状態から立ち上がろうとして、ふらついた。気力でバランスを保ちながら、アリカは前へ一歩を踏み出す。最初の烈風のごときスピードは今はなく、疲れと傷ばかりが彼女の背中に重くのしかかる。彼女の腹部には、いくつも杭を打たれた痕跡があった。もう立てなくなってしまうようなダメージを受けながらも動くその姿は、何かに憑かれたかのようだった。
 狂気じみた、ただそれだけに限りなく純粋な想いが、桃色髪の殺人姫を突き動かす。
 イーヴィル・アームの内部モーターを稼動させ、超振動を纏った指先を音を立てて開くと、アリカは鎌首をもたげるように右腕を上げた。
 戦う事をやめようとせず、何度も立ち上がるアリカを前に、少女はにやついた笑いを収めて、吐き捨てるように口を開いた。
「……タフだね、アリカ。本当に憎たらしい。ボクが欲しかったものはみんなキミが持ってた。同僚からの賞賛もプロジェクトチームの信頼も、頑丈な身体も圧倒的な破壊力も、全部。ボクにはそんなの、なかった。この細いウロボロスが憎くて仕方なかった。皆がキミの名前を呼ぶんだ、アリカ、アリカって。ボクの名前なんて忘れたみたいに。ナンバーツーは要らないって言うみたいに。……だからさァ……」
 ド、という詰まり気味の音と共に視界が揺れる。地震めいた振動は鋭すぎる踏み込みによるもの。揺れる視界の中に敵は既にいない。左右の壁が連続的にえぐれて、気づいた時には目の前に踵があった。
 縦横に反射するような動きから繰り出された蹴りをアリカはイーヴィルアームでガードするが、そのインパクトに一瞬たたらを踏む。空中で一回転して着地した少女を捕えようと腕を振り下ろすが、砕けたのは床だけだ。歯噛みをする。ローポジションからの横移動が呆れるほどに速い。左前下方、地面間際のすれすれで敵の腕――『ウロボロス』の爪が音を立てて開く。
「死んでよ……死ねよ、アリカッ!! キミを殺さないとボクは認められないんだッ!! キミが消えても、ボクはプラスに選ばれなかった!! みんな、耐えたボクよりも逃げ出したキミの方が優れてると思い込んでるんだよッ!!」
 タックルするような姿勢から、彼女は踏み込んだ。アリカが反応するよりもずっと速く、開いた爪がアリカの左足を掴む。同時に、爪がホールドするように肌に食い込んだ。
「ゥ……ッ!」
「バラバラに砕けて死ねよ!! ボクは証明するんだ、イツカノアリカよりもナユタノカナタの方が優れているって、皆に見せ付けてやるんだッ……!」
 呪いを込めた叫びと共に、カナタと名乗った少女は身体の回転によって踏み込みの運動エネルギーを回転力に変える。アリカの脚が地面から浮いた。声を上げる間もなく振り回される。視界と平衡感覚が攪拌され、アリカは声を呑んだ。反論の間もなく衝撃が来る。壁への激突、意識が飛びそうになる。飛び散る破片が妙にゆっくりに見える。
 身体が、千切れて飛散しそうだった。脱力しかけたアリカの足を、しかしカナタは手放さない。尚も力をこめてアリカの身体を持ち上げようとする。
「ぁぐ……っう、……!」
 アリカは叫ぼうとした。だが口からまろび出たのはうめき声に過ぎない。イーヴィルアームを繰り出そうとするが、衝撃で脳が痺れたように、思い通りに動かない。そうしている間にも、カナタは無常にアリカの足を持ってその身体を振り回した。ただしゃにむに、壁に叩きつけ続ける。
 右に、左に、アリカの身体が振られ、壁に激突する。額が割れ、滴り落ちる血が眼窩を伝って頬へ落ちた。視界が、血糊で歪んで赤い。ひどく単純な攻撃方法だが、それだけに一度ペースを握られると抜けることも難しかった。――しかし。
「ぅ……ッがァ!!」
 アリカは軋むような声を上げ、渾身の力を振り絞って壁にイーヴィル・アームを叩き込んだ。振動を切り、アンカーのようにがっちりと壁を掴む。振り回そうとしていたカナタの動きが、縛られたように止まった。単純なパワーだけならばこちらの方が上だ。
「貴女のことなんて……知らないし、」
 流れる血が、アリカのピンクの髪を赤く赤く染めていく。赤くぼやける視界を拭うこともできないまま、力の限り右足を振り上げた。
「興味も――ないッ!!」
「ッ――!」
 カナタの横っ面に、アリカの爪先が食い込んだ。ハンマーもかくやという衝撃を受けてカナタの首がねじれて後方に弾ける。拘束が緩み、アリカは左足から敵の腕を振り払う。
 地面に足をつけ、壁から腕を引き抜いた。だらりとイーヴィル・アームを下げ、アリカは数度呼吸をする。いくらか視界がクリアになる。痛みもそのぶん鮮明になったが、まだ立っていられる。それは即ちまだ戦えるということだ。
 カナタが踏みとどまり、ゆっくりと前に視線を戻す。その瞳には激しい憎悪の光があった。その色は風に煽られ音高く揺らめく、嵐の中の篝火に似ている。
 血の味で滑る口内から赤い唾を吐き捨て、アリカはイーヴィル・アームを持ち上げた。状況は最悪だ。集中力もない。今、奥の手ベイオネットを使っても、当てられる確証はない。
 可能な限り引き付けて、一撃を食らわせるしかない。アリカはこういう時、仲間ならどうするだろうと僅かだけ考えて、化かし合いも手管の一つと笑う殺人狂の事を思い出した。

「……喩え、あなたがわたしを知ってても、今のわたしが考えるのは、シキのことだけ。もう一回言ってあげる――あなたのことなんか、どうでもいい、、、、、、の」
 挑発の言葉を放つ。駆け引きなどしたこともなかったが、本心を言うだけならば彼女にでも簡単に出来た。
 カナタの瞳孔が収縮し、目が戦慄くように見開かれる。
「……この期に、及んでぇえッ!!」
 床が弾け飛んだ。怒りのままに突き出された攻撃をアリカは懸命に目で追い、右腕をかざして防ぐ。金属同士がぶつかり合う激しい音と火花が散った。次の瞬間、激しい衝撃と共にアリカの右腕が跳ね飛ばされる。敵の腕――ウロボロスの杭による一撃だ。
「くッ」
 息を詰めた次の瞬間、カナタが潜り込むように身を沈め、地面に足を踏み下ろした。爪先が内側に引き絞られ、左から打ち上げ気味のショートフックが来る。鉤爪が鋭く開き、アリカの脇腹を食い破ろうと迫る。
「――ッああ!!」
 アリカは叩き伏せるように、左腕を打ち下ろした。銀の腕が、真上から敵の一撃を叩く。しかし、
「ッがアアあァアぁッ!!」
 猛獣さえも恐れるであろう、獣そのものの声が響いた瞬間、アリカの一撃はカナタの右フックの上を滑った。目を見開く間もない。
 カナタの一撃の威力が、アリカの力を一瞬だけ超克したのだ。
 ウロボロスの爪がアリカの脇腹を食い締める。ボディスーツが裂ける。一瞬の間もおかず衝撃が来た。重い音が響き、皮下の擬態装甲に亀裂が走る。
「ぎ……ッ……!!」
 声を出せたのは一瞬だった。カナタが返す刀で左腕を突き出し、アリカの顔面を打ち据えながら三本の爪でホールドする。そのまま助走するように二歩踏み込み、再三、壁へと叩きつけた。
 熱病のような鈍痛と後頭部から流れる血の感触が、アリカの意識を揺らす。頬と額を締め付けるようにがっちりと食い込んだ爪が、アリカに言葉を許さない。
 甘かった。
 彼女の怒りは、想像以上に根の深いものだったらしい。
「――……いいザマだよ? わかる? 今、ボクが、キミの命を握ってる。その腕を動かすより速く、ボクのウロボロスがキミの頭を砕く。懺悔の言葉は言わせない。誰の名前も呼ばせない。ただボクに怯えながら、羊みたいな目をして死ぬんだ、アリカ。――そうすればきっとボクのイライラも――ちょっとはマシになるからさぁ!!」
「……!」
 長い間、イーヴィルアームを振るうだけであらゆる敵を潰すことができると、そう信じて疑わなかったのに――息のかかるほど近くに、殺せない敵がいる。それが自分の命を握っている。
 あの日、自分の記憶が始まった日、殺したはずの死体が立ち上がって笑った時に覚えた感情――恐怖が、再びアリカの身体を押し固めた。震えそうな足を、気取られぬように地面に突っ張る。
 いつ引き金が引かれてもおかしくない。
 一発だけならどうにかなるかもしれない、しかし二発目はどうだろう。強化チタンに化学的に置換した頭蓋とはいえ、カナタの容赦のない攻撃の前に長く耐えられるとは思えない。いや、それ以前に、脳に響いたダメージが全てを台無しにしてしまうかもしれない。
 そしてなにより、カナタは頭が砕けてしまうまで杭を打つのを止めないだろう。ならば自分はもう死ぬしかないのだろうか。
 しき、
 言葉を漏らそうとしても唇は動かない。いつカナタが杭を自分に叩き込むのか判らないから。声を出したらそれが引き金になってしまいそうだったから。
 アリカは目を閉じることも、喉を鳴らすことも、唇を動かすことも止めて、心の中で呼ぶ。
 ……シキ、
 目を閉じなくても、虚像が見えるほどに見つめて覚えた彼の顔。笑っている顔も、泣いている顔も、嬉しそうな顔も優しい顔も、数えるほどしか見た事のない怒った顔も、みんなみんな愛しい。
 自分は長く生きられないと、アリカ本人さえもが感じているのに、ただその寿命を延ばすためにあらゆる方策を講じる、残酷なほど優しい少年。
 スクラップ置き場で、一度殺されて、なのに再び立ち上がって、一緒にいこうよとアリカを宥めた、一種の異常性を纏った少年。
 ああ、そんな歪なひとだったからこそ、わたしはシキを愛している。
 走馬灯のように思い出が駆け抜けていく。
 ――嫌、
 そんなのじゃ足りないと、アリカは心の中で首を横に振った。思い出には過去の彼しかいない。自分とシキにはまだ未来があるはずだったのだ。それは輝かしいものではなかったかもしれないけれど、けれど確かに可能性が広がっていたはずなのだ。
 カナタの粘ついた笑いが目の前にある。それに耐え切れず逃げ出すように、アリカは喉の奥で叫んだ。
 ――シキ!!
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