-Ex-

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  ガン・ドッグ  

『――それ、持ってくの?』
 シキが意外そうな声で呟くのを聞いた。ザイルは身体に銃器を括りつけながら答える。
『これを使うときが来るとは思ってないさ。だから体中にこれだけ銃を貼り付けてる』
『使わないなら単なるデッドウェイトじゃないか。何でそこまでして?』
 シキの尤もな問いに、ザイルは手の中に残った軽く小さな銃を見つめた。
 今まで、どんな時でもこの銃だけは手放さなかった。この軽い反動が、少年の生存を保障してきた。答えを探すように口を開く。
『……お守りみたいなものさ。最後に俺を生かしてきたのはこいつだ。どんな時でもな』
『ふうん――』


 浮かぶ任務前の回想。ザイルはグリップを握った。スリムなグリップの感触が、壊れそうな手にしっくりと馴染む。両手に握ってホルスターから引き抜いたのは、細いバレルとスリムなフォルム、存在感のない殺しのための拳銃――骨董品の.二二口径スターム・ルガーだ。それはともすれば、彼自身に似ている。
 父親の書斎から盗み出し、それ以来手放さずにここまで来た腐れ縁。ザイルはゆっくりと安全装置セフティを外した。遅い世界の中で、それは妙に大きく響いた。
 ガナックの歩みが止まった。ザイルは口の中に残った血交じりの吐瀉物を吐き捨てると、カリカリと加速する自分の思考速度を聞く。まるで壊れる寸前のモーターだ。手はまともに動かず、内骨は軋みを上げ、まともな呼吸もできずにか細く喉を鳴らしている。
 しかし、今このとき、ザイルはゆっくりと立ち上がった。もう、目の前に立つ巨躯を殺すことしか考えていない。背を向けて逃げることも、救援を待つことも、頭の中から締め出した。
 荒い呼吸が邪魔ならば止めよう。動く心臓が忙しいなら黙れと命じよう。脳が少しずつ死んでいくその瞬間まで、身体を戦闘のために特化しよう。加速した思考を伴って、殺人鬼は走り出す。
「……む!」
 ガナックが目を瞠る。反射的に踏み出すガナックの速度が遅く見えた。――否。速くなっているのだ。自分が。ずきずきと痛む頭が、命を削っていることを教えている。ザイルは指差すように自然に筒先を上げ、息をするように一度ずつ左右のトリガーを引いた。耳を聾する甲高い破裂音と共に、豆粒ほどの銃弾がガナックに向かう。
 しかしガナックはそれをものともせずに突っ込んできた。身体に確かに二発が食い込むが、ガナックがダメージを負った様子はない。死を覚悟したものを止めるには、その牙は細すぎる。
「息を吹き返したかと思えば、何をしている、その程度か!!」
「――確認だよ」
 怒号するガナックに、ザイルは一言だけ呟いた。一瞬だけ足を止め、ガナックの目を見据えた。久し振りの敵らしい敵に敬意を表して、微笑む。
「答えが出るぜ、爺さん」
「――ならば死を以って解答を提示しろ!」
 足を止めたその一瞬に滑り込むように巨体が迫る。迫りくる死の具現、暴君タイラントを従えた古強者を前に、ザイルは左の銃口をコートの中に差し入れた。
 ガナックが再び踏み込んできた。小さな金属音が響き、刹那の間をおいて二つの影が交錯する。
 銀の拳が黒い影を突き抜けた瞬間、世界は白に包まれた。


「――!?」
 ガナックは驚愕の息を吐いた。視界を埋め尽くすように溢れるのは、光のような清冽なものではなく、むしろそれらを遮蔽する白煙であった。
 帰ってきた手ごたえは不安を覚えるほどに軽い。果たして、拳が貫いたものは、ザイルが纏っていたコートだった。力なく揺れる革製の生地から、ごろりと転がり出るものがある。煙幕手榴弾スモークグレネードだ。生まれる煙が狭い空間を埋めていく。スプリンクラーから水が撒き散らされ、煙を薄く散らす。
 ――逃げる気か?
 ――焦るな!
 疑念と自戒が渦を巻く。ガナックは右腕にまとわりつくコートを振り捨てた。降り注ぐ水が思考を冷まし、煙を薄れさせていく。薄まる煙の向こう側に微かな足音が響いた。足音は煙に阻まれた視界の中、四方八方から反響してくる。
 ガナックの背中を、久しく感じた事のない怖気が這い登った。
 この匂いは、かつては戦場で幾度も近くに感じたものだ。
 焦げた燐、硝煙、血、ガンオイル、割れた装甲、それらを一緒くたにして煮詰めたような……
 そう。
 死の匂いだ。
 ガナックは、周りを取り巻く足音の中に、死神の足音を聞いた気がした。
 落ち着け。落ち着け、落ち着け、落ち着け。
 ガナックは頭を守るように腕を構える。ザイルが自らの最大火力デザートイーグルを拾ったとしても、喰らって即死しなければいいだけの話だ。撃たれたあとに撃ち返してやればいい。先ほど入れた一撃から、相手の腕が破損寸前であることは予測がつく。あの大口径では照準はまとまらず、よしんば撃ったとしても片手一発ずつの二発までが限界のはず。撃たれてから拳を打ち返しても十分に間に合う。最悪でも相打ちだ。そして、小口径で来るのなら、ゼロ距離で首か眼窩を狙われなければ致命的なダメージを負わされることは無い。加えて言えば、接近戦のリスクは嫌と言うほど刷り込んでやったつもりだ。
 足音に包まれながら、ガナックは自分を鼓舞するように有利な条件を並べる。深い呼吸で、焦りを落ち着きへと変えていく。
 永遠とも思われた白煙の中のステップがまばらになる。不意に、足音の矛先が自分に向いたのを感じ取った瞬間、ガナックは弾かれたようにそちらを向いた。白煙の向こう側に影が揺らめき、こちらに突っ込んでくる。その影に向けて、迷わず拳を射出した。横に向けて回避すれば結果距離は縮まらず、敵にとっての必殺の機会はより狭まる。そして小さな動きでかわせば、続く突撃でき潰せる。
 どう出るか、と考えたのも刹那、影は伏せるように身を屈めた。彼の頭の上を越えて、壁に拳が突き刺さる。
 勝負がついた、とガナックは感じた。このまま加速して敵を吹き飛ばし、壁に叩きつけて轢殺する。近づく距離。白煙の中に見えるザイルは回避したことを悔いるように、後ろを見ていた。ガナックは腕のワイヤーを巻き上げようとして、
 ザイルの銃口が、壁を向いているのを見た。


 リューグ=ムーンフリークがザイル=コルブラントのことを評した言葉として、理性的な殺人鬼≠ニいうものがある。その心は、と問えば、打算で殺しができ、計算して殺すことができ、勝算がなければ殺しをやめることもできるから、だという。
 だが、それは間違いだとザイルは思う。
 打算と計算は認めよう。しかし、退けぬ戦いのここ一番で高い勝算を求めはしない。喩え僅かでも可能性があるなら、指先と銃弾でその可能性をこじ開ける。不確定な一瞬後の未来へと身を投じる、自信と蛮勇。それこそが自分の持つ最後の武器だと、ザイルは感じている。
 だからザイルは祈りもせずに、撃った。ゴムソール、、、、、の靴で地面を踏みしめ、二発目。意図を悟ってガナックがワイヤーを巻き上げる一瞬前に、もう一発。拳が突き立ち亀裂の入った壁へ、銃弾が飛ぶ。一発目が亀裂を二ミリだけ広げ、二発目が壁の内側で跳ね、三発目が一発目の軌道をなぞった。

 その瞬間、口の中がひりひりするような、破裂音にも似た音が立った。

 壁の亀裂の奥でスパークがひっきりなしに上がり、天井灯の一部が一瞬激しく明滅する。泥のように遅い世界の中でガナックが目を見開き、崩れかけた足を支える。銃弾で断ち切られた壁裏の配線が、濡れた拳を伝ってガナックの身体を沸騰させたのだ。
 ――それでも、巨人はまだ動いた。高圧電流に身を焦がしながら、ザイルを逃すまいとワイヤーを巻き上げ始める。だが、体勢を立て直すために使った一瞬は大きかった。
 ガナックが初めの一歩を踏むよりも、ザイルが二挺のスターム・ルガーMkUを振り上げる方がずっと早い。ザイルは歯を食いしばって、トリガーに指を添えた。
 視界に火花が散ったように、加速した意識が明滅する。
 自分に可能な最高速度でトリガーを絞る。その連射速度は、拳銃の構造的な限界速度に限りなく近い。脳裏に描いた残弾のカウンターが瞬く間にゼロに近づいていく。ガナックが、加速された世界の中で驚愕に目を見開いた。銃弾が立て続けに、直径三センチのワイヤーを削いでいく。ガナックが巻き上げているワイヤーは、弛むことなく張り詰めている。力の逃げ場のないそこに、ザイルは銃弾を叩き込んだのだ。
 ワイヤーが軋む音を立てる。ガナックの身体が迫る。コンマゼロ何秒かでの攻防の世界で、それでもザイルは間に合うと信じた。精密すぎるその両手の操作が、凡庸な.二二口径を鋭利な切削機械に変える。
 十五発目ラスト。両手の拳銃のボルトが後退したまま止まった瞬間、軋んだワイヤーが綻び、悲鳴を上げて引き千切れた。ガナックが驚愕覚めやらぬままにバランスを崩す。ザイルは立ち上がる。ガナックが辛うじて立て直しの一歩を踏み、ザイルは二挺の拳銃を捨てた。
 スターム・ルガーが地面につくよりも早く、少年と壮年の視線が絡む。ザイルは煙幕に乗じて拾った、デザートイーグル・レプリカの片割れを引き抜いた。
 言葉などない。
 片腕を半ば喪ったガナックはバランスを崩しながらも、倒れこむようにザイルに駆ける。同時に叩き潰すような、上からの打ち下ろしが来た。しかし、宙から襲い来る拳を前にザイルは躊躇なく踏み込んだ。懐にもぐりこんで、拳を潜り抜ける。フックが肩口にかすり、骨のずれる痛みが走る。それさえ構わない。
 拳を掻い潜った瞬間、ザイルは跳ねるように動いた。前傾姿勢から、足のバネと後背筋、そして腕の力を総動員して、ガナックの咽喉へ銃口を繰り出す。ごぐん、と骨の歪む音がして、ガナックの口から声にならない声が迸る。ザイルの持つデザートイーグルの銃口がカウンター気味にめり込み、老いた猛者の喉仏を叩き潰した。運動エネルギーが相殺され、両者の脚が止まる。
 一瞬の膠着の中、外れた拳を、それでもガナックは引き戻した。今度はコンパクトに振るうために、目の前の殺人鬼を殺すために。だがそれは、あまりにも遅すぎた抵抗だった。
「こいつが答えだ」


 ザイルが、掠れきった声で囁く。
 ガナックはまだ拳を振り上げようとしていた。しかし、それより早く左腕部が悲鳴を上げる。まるで諦めたように、各部のアクチュエータがエラーを起こし、腕が下がっていく。
 ――まだ戦える。トリガーは引かれていない。まだ私は戦える!
 ガナックは、声の出ない咽喉で必死に叫ぼうとした。だが、腕はその思いに反して下がり行く。ガナックのことを見限ったように、ただ緩やかに沈黙へ沈んでいく。
「終わりだ。……終わりなんだよ、爺さん。あんたは、強かった。今こうして武器を突きつけてるのがあんたでも、何の不思議もなかったはずだ。……でも。終わりなんだよ」
 少年が、トリガーを引かないままで言う。
 ガナックは、ザイルを見下ろした。せめて最後まで己の敵を睨もうと、自分を殺す男の瞳を覗き込む。――その瞬間に、頭の芯がすっと冷えた気がした。
 見つめ返してくる底なし沼のような瞳。人を殺して、その命を吸い、届かない光を見ようとせずに、生きるために闇の中を見つめることに腐心してきた――そういう目だ。
 ――ああ。そうだった。
 いつの時代にも、こういう殺人鬼が生まれるのだ。
 自分がかつて友とした、あの男たちのように。
 ザイルの目を改めて見て、思う。受け継がれている。この忌まわしくも強い魂は、繋がらずとも、新しい時代へ届いていく。この凍京のスラムというゴミ溜めの中に、誰にも望まれず生まれて、誰からも排斥されて、それでも生きるためだけに強くなっていく者が、確かに存在するのだ。
 苦労してきたのは自分たちだけだと、最新の技術を最初から使える若者は卑怯だと、古い技術レガシーテクと経験のみで最新を凌駕し、目に物見せてくれようと。そんなことを一瞬でも考えた時点で、自分は、型に嵌っていたのだろう。老人という、かつて最も嵌りたくなかった型に。
 ――私も、老いたのだな。……老いてしまったのだな。
 ガナックは、疲れたように笑った。死を受け入れたものの目をして、拳から力を抜く。そろそろ逝き時だ。目の前の少年が自分の死だと言うのなら、悪くない。
 ザイルは、自らに不足しているものをまわりにあるもので補った。あらゆる方法を使って隙をこじ開けようとした。終わりに近かった勝負をひっくり返す、圧倒的なまでの爆発力が彼にはある。
 生きていくだろう。この少年は。
 ガナックは満足したように、目を閉じた。ほどなく、最後の声が聞こえる。


「あばよ爺さん。また――地獄で会おうぜ」


 トリガー。世界を終わらせる銃声が響いた。ガナックの首の中心から銃弾が射入し、首の後ろ半分を吹っ飛ばして抜けた。巨体が一度だけ痙攣するように跳ねて――後ろへと倒れていく。
 キラーハウスを作り出したものたちは、これで残らずこの世から消えた。彼らなくして、あの組織の存続はありえないだろう。砂城のように、崩れて消えていくだけだ。
 ザイルは、震える手で、それでも拳銃を握り締めたまま天井を仰いだ。明かりの明滅はなく、ただいくつかの電灯が死んだように欠けて、ぽつぽつと暗闇として浮かんでいる。
 人工の雨がザイルの身体を濡らす。ずぶ濡れの身体を更に冷やすように、ただ無慈悲に降り注ぐ。物言わぬガナックの首の空洞から、血が川の様に流れ、濡れた床をまばらに流れていた。
 ぴしゃり、水と血を踏みしめて歩く。ぴしゃり、床から二挺のスターム・ルガーともう一丁のデザートイーグルを回収する。ぴしゃり、一度だけ死体を振り向く。
 目を閉じて死んだこの男が、何を思って逝ったのか、ザイルは知らない。ただ、恐らく今まで戦った中で最強だったその男を、きっと忘れまい。それだけは確かだった。
 ぴしゃり。
 水溜りを踏み、少年は道を奥へと歩きだす。満身創痍の身体を引きずり、それでも、仲間が生きていると信じて歩く。
 二度は、振り返らなかった。
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