-Ex-

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  ガン・ドッグ  

 銃声と同時に、火花が咲いた。
「……フッ!」
 呼気と共に巨体が唸りを上げ、前方へ踏み込む。ランダムな軌道で跳んでいたザイルを正確に、一直線に追い詰める。床に着くなり舌打ち一つ、ザイルは吹っ飛ぶようなバックステップで間合いをとった。咄嗟にガナックの頭を狙って四発撃つ。しかしそれらはいずれも、鋼鉄の腕の前に阻まれて落ちる。
「……戦車タンクかよ」
 唖然とする。ザイルは己の技量に絶対の自信を持っている。しかし、敵は腕だけでその銃弾を弾いて見せた。照準は間違いなく、頭を吹っ飛ばすコースで決まっていたはずなのに。
 宙返りして壁を蹴り、地面に着地する。そのまま慣性を生かす形で疾駆し、更に銃弾を放った。今度は土手ッ腹を狙ったが、ぶれる様にガナックの身体が霞み、弾丸が擦りぬける。
 高速でのサイドステップ。常識を超えた機動を見せるサイボーグのお家芸だ。ザイルもまたそれを得意としていたが、あの巨体でこの速度とは驚嘆に値する。
 弾丸をぶち込んでも殺せる気がしない相手に出会ったのは、実に久し振りのことだ。
 ガナックは、文字通り弾けた。石弓から打ち出された矢のごとき速度で肉薄してくる。細かいサイドステップに幻惑されながらも、ザイルは跳ねるような動きで後退しながら狙いを定めた。しかし、まさにトリガーを絞ろうとしたその瞬間、ザイルの背に冷たい壁の感触が伝わる。
 ――追い詰められた!
 瞬間、思考よりも先にザイルは銃を振り上げた。電撃的な接近から打ち下ろされる稲妻のごとき拳を、三発の銃弾で迎撃する。反動で微かにガナックの腕が止まった瞬間、迷わず右へと身を投げ出した。一瞬遅れて、轟音が響く。ザイルは受身を取ってすぐさま立ち上がると、焼き過ぎたトーストを見た時のような顔をした。
 ガナックの腕が、頑丈なはずの壁を突き抜けている。それも、ハンマーを叩きつけたところで、同じ結果になるか怪しいほどに深く、だ。壁からずるりと引き抜かれたその手に、配線の束が握られていた。ガナックはそのまま、力を誇示するように配線をぶちぶちと壁から引きずり出す。見せしめのように配線を引きちぎり、ザイルに向き直った。
 壁からだらりと垂れる死んだ配線の束は、まるではらわたのようだった。ザイルは肩を竦め、諦めたようにぼやく。
「馬鹿力め」
「何、一芸に過ぎんよ。私にとっては銃を使って遠くの敵を屠るほうが、よほど神業じみている」
「隣の芝は青く見える、そう言うらしいぜ、昔から」
 軽口を叩くが、ザイルの顔に油断はない。
「その年代ものの腕で、よくもそこまでやりやがる」
「慣れてくれば力の使い方も判るものだ。年の功とでも言おうか」
 ガナックは軋み音を上げる、しかし一向に壊れそうにない頑丈な義肢で拳を作り、火花が出るほどに強く叩き合わせた。
暴君タイラント。この腕の銘だ。既製品を私の体格に合わせただけのものだが――ワンオフ・モデルと呼んで差し支えあるまい。腕を失ったとき、狂犬<Nラン=ショーテルから受け取ったものさ。……私がまだ、老いさばらえる前の話だ」
 老人はどこか疲れたような調子で語る。そこには誇るような響きも、恐れを抱かせるための威圧もなかった。ただ、帰らない日々を振り返るような響きを持った言葉を零す、切ない響きがあるだけだ。
「……思い出話に興味はねえな。さっきも言ったが、俺はこの先に用があるんだ」
 ザイルは、まだ銃弾の残っているマガジンを落とした。新しいマガジンを両手の銃に装填し、深く息を吸って吐いた。
「爺さん。あんたの顔には死相が見える。――俺と会ったからな。今、ここで」
「是非もない」
 ガナックは、笑った。
「もとよりいつ失っても変わりのない命だ。私たちにとって、死とは親しみ深い友人のようなものだよ。違うかね、ザイル=コルブラント? 彼らはふらりと迎えに来て、断れない誘いを突きつける。そうして、私はいつも友人たちを見送ってきた。次は自分の番かと待ちながら」
 巨漢が、微塵も衰えない身体の筋肉を張り詰めさせる。
 ザイルには目の前の男が、切削機械から下ろしたばかりの、荒削りのスチール・ブロックのように見えた。強靭で、強健で、ただただ純粋に力強い。
 ――似た雰囲気のヤツを知っている。
 死を覚悟して敵と相対するとき、こういう顔をする連中がいた。そしてそいつらは、少なくともザイルの記憶の中では、皆例外なく手ごわかった。
「仲間を見送って、私は取り残された。かつて打ち立てた理想も、今はない。私一人では組織に水を通すことも出来なかったのだな。淀み、停滞した流れはやがては腐る。それが今のキラーハウスだ。言い訳はよそう。私はあの組織を一人で活かすには、あまりに役者不足だった」
 ザイルは軽口を挟もうとした。しかし、喉に言葉が引っ掛かって止まる。
 相手のペースに飲まれている。
 ガナックの目には、有無を言わさない力があった。人はそれを覇気と呼ぶのだろう。若輩者がどれだけ力を手に入れようと絶対に得る事の出来ない威厳と説得力が、そこにはある。
 齢十六のザイルが考えられたのはそこまでだった。ガナックは自らの腕をだらりと下げ、もう一度じっくりと拳を握りなおした。ザイルが視線を注ぐ先――拳の、指と指との隙間が、まるで融けた氷と氷の境目がなくなるように一体化する。
「……しかし、果たすべき意地はある」
 ガナックの腕が、暴君が、目を覚ます。
「答えを出そう、ザイル。私はそれを求めてここに来た」
 完全に指の隙間が見えなくなった瞬間、ガナックの両腕の先は単なる鉄球と化していた。殴打するための、最も単純で頑強な機構がそこにある。
 彼は一拍置いて、ザイルを真正面から睨みつけた。
「――貴様が私の死神か、私が貴様の死神か」
 突きつけられた刃のごとき言葉に、ザイルは確かな恐怖を抱いた。怖いものなど何もなかった。戦いの中で死と親しむたび、自分は死なず相手は死ぬと、無鉄砲なまでに確信していた。その彼が、今や背中を軋ませる危険信号に身を震わせている。
 ――しかし。
「上等だ」
 喉から出てきた声は、震えてはいなかった。言葉を発してから気付く。自分の頬が奇妙に歪んでいる。
 ザイルは笑っていた。叩きつけられる覇気と殺気に震えながら、どうしようもないほどに高揚していた。
「あんたの時代は終わった。そのつまらないプライドごと、心臓を食い破ってやるよ。俺は殺人鬼だ。保証書つきのな」
 殺す方法は思いつかない。敵はあまりに俊敏で、頑強で、力強い。だが、ザイルの心に絶望はなかった。ただ、かつてキラーハウスでんせつを築いた男と戦えることを、無上の喜びに感じ始めている。敵の強大さを認識するほどに、殺人鬼ひとごろしとしての本能が疼くのだ。
 ――アレを殺して、アレ以上になれと。
「俺の銃に撃てないものはなく、俺に殺せないものもない。それを今ここで証明してやる」
 自信に満ちた言葉を、ガナックは正面から受け止めた。
「ならば証明を始めよう。己が全てを懸けて、死に繋がる方程式を並べよう。その果てに求める答えがあるだろう。行くぞ、ザイル=コルブラント」
 ガナックは鉄球と化した両の拳を持ち上げながら、問うた。
「覚悟はいいか?」
「無粋な質問だぜ」
 にやりと笑ってザイルが返した瞬間、ガナックは眩しそうに目を細めて、笑った。
 重量級のその身体が、しなる弓から弾き出される矢のように加速する。目標はザイル、疾風を上回る速度で一直線に。駆け引きなど一つもない、瞬発力だけの特攻だ。
 泥のように遅い一秒の中で、ザイルは時を削ったような速度で後退する。一撃目はスウェーバックで回避した。すぐさま追撃がくる。当たれば首が吹っ飛ぶような右のフックを地を這うようにして避けた。ガナックの足の間へ、身を投げ出すように飛ぶ。
 ザイルは身を小さく丸め、ガナックの足元を滑りぬけた。相手の背中側に抜けるのと同時、受身を取ってためらいなく跳ぶ。空中で身をひねって、ガナックの背中へ三発の . 5 0 A E フィフティ・アクションエキスプレスを見舞った。
 しかし、火花。
 銃声が響くと同時にガナックは振り向き、腕を振るった。金属のひしゃげる甲高い音と共に銃弾が弾かれる。それこそリューグや、ともすればアリカにさえ追いつく反応速度である。
 ガナックの視線が、宙にいるザイルを射抜いた。腕の角度が僅かに変わり、ザイルを狙うようにぴたりと定まる。
 背中を、果てしなく嫌な予感が突き抜けた。
「暴君の威光は、空さえ渡るものだ」
 ガナックが呟く。ザイルは浮遊感に包まれながら、地球の重力の弱さを呪った。滞空している時間が果てしなく長い。ガナックが拳をほんの僅か突き出した瞬間、その手首が爆発的な火を噴いた。
 手首から先が射出された、、、、、、、、、、、のだ。
「っくアッ……!!」
 身をひねるが回避は敵わない。ガードのために上げた腕がめきり、とひしゃげるのを聞いた。衝撃に押されるようにザイルは宙を飛んだ。背中から壁に叩きつけられる前に身体をひねって姿勢制御し、ギリギリで壁に着地する。重力に引かれるままに地面に着地し、感覚のない両腕の被害状況を確かめる。チタン製の内骨はさすがに頑丈だ。折れても、ヒビが入ってもいない。しかし、その間に挟まれた筋繊維が問題だった。
 筋繊維の断裂、そして急激な外圧による感覚喪失。痺れるような無感覚は、やがて燃えるような痛みに変わる。手に力が入らない。デザート・イーグルが果てしなく重たくなった気がした。反動を手で押さえ込める気がしない。
 ガナックが腕を引いた。ワイヤーで繋がれた手首が引き戻され、金属音を立てて繋がる。
はやいだけでなくそこそこ頑丈なようだ。驚嘆に値するな。まだ銃を手放さないとは」
 ガナックはゆっくりとザイルに向き直り、
「だが、いつまで持つかな!」
 弾けるように踏み込んだ。
 地面が震撼する。続いて炸裂音と同時に、再度拳が飛んだ。またも襲いくる遠距離からの打撃を、ザイルは紙一重で避けた。ずん、と音を立てて拳が壁にめり込む。ザイルはそれでも、満足に撃てそうにない両手の銃のトリガーを引き絞る。反動に手が負けて、銃口が跳ね上がる。
 ガナックは腕のワイヤーを巻き上げることで、壁に向けて自分の身体を引っ張り、その加速で狙いを外した。銃弾がガナックの銀腕を擦過して背後で散る。壁につくと同時に右手首を結合させて腕を引き抜き、その反動で左拳を放ってくる。
 銃火マズルファイアに似た発射炎を伴って射出される拳が、尋常ではないスピードでザイルに追従した。咄嗟のサイドステップが間に合わない。顔の高さで構えていた右手の銃が、唸る拳に弾き飛ばされた。
 舌打ちをする間もない。顎をそらして間髪避ける。しかし、後ろで壁に拳が突き刺さる音がした。不安定な体勢を立て直す間もなく無理やりに前を見た瞬間には、ガナックの巨体が目の前にある。
 巻き戻りの速度を加味した高速移動。その瞬間、ザイルは死神の吐息を耳元に感じた。
 ガナックは咆哮と同時に右腕を叩き付ける。胴を凪ぐ振り回し気味のラリアットを喰らい、ザイルは身体をくの字に折って吹き飛んだ。左手から力が抜け、銃が零れ落ちる。肺が空っぽになって息が詰まった。呼吸を求めて横隔膜が痙攣する。
 それでも頭に浮かんだのは、壁を背にする事の危険性だった。
 巨躯を持つものにとって、壁とはそれそのものが巨大な武器だ。敵を叩き付けるだけでダメージを与えられる。逃げ場を制限することで機動力を奪い去り、回避不能の攻撃を叩き込むことができる。
 ザイルは辛うじて横に向けて地面を蹴った。壁際に追い詰められるわけにはいかない。
 壁にめり込んだ拳を引き抜き、ガナックが動いた。小手先のサイドステップでは惑わすことさえ叶わなかったらしい。空気の壁を叩き壊し、彪風を纏って迫りくる。大振りのストレートパンチが、顔を砕こうと突き出された。
 地を這うようにザイルは屈み、続いて打ち下ろされた側拳での鉄槌打ちを転がるようにかわす。瞬間的な運動の中、呼吸する一瞬が見当たらない。
 ザイルの両手に武器はない。デザートイーグルは遠くに転がっている。よしんば拾えたとして、震えるこの手で扱えるかは微妙なところだった。あの女ソラと戦った時にサブマシンガンを捨てた事を今更のように思い出した。
 手元にない武器のことを考えた瞬間、脇腹に全身がひしゃげそうな衝撃がくる。息を入れ損ねた肺が萎んで、潰れてしまいそうだった。
「苦し紛れの逃げだな」
 声が遠ざかる。ザイルは、自分の体が浮くのを感じた。まるでサッカーボールだと、頭のどこかで考える。視界の隅でガナックが、振り抜いた足を引き戻した。
 そのまま、背中から壁に叩きつけられた。肺はもう空っぽなのに、身体だけが壊れたように蠕動する。出もしない空ろな咳と共に、任務の前に食べたものを地面に撒き散らす。吐瀉物で止まりそうな気管を掻き分けて息を吸う。涙腺が開き、涙が滲んだ。
 ガナックがゆっくりと歩いてくる。神話にある屈強な神の子のようだった。液化金属で固められたガナックの拳が、舌なめずりをするように天井灯を照り返す。
 ――ああ、このままこいつ、俺を殺すな。
 ザイルはえずきながら、漠然と考えた。
 ……頭の中に、古錆びた磁気媒体ハードディスクの回る音が響いている。敵の一歩が遅くなった気がした。泥のように遅い時間の流れの中で、神経だけが加速する。
 ガナックがまた一歩歩いた。
 このままでは、負ける。死ぬ。叩き潰され、二目と見られぬ姿になって――今まで自分が殺してきた連中と同じように死ぬ。死は平等だ。壊れた肉体に降りかかる摂理だ。自分にだけ降りかからないはずがない。人間はどこまで行ったって、死という壁を越えられない。ガナックの足音。また一歩。
 ――なら、死ぬのか?
 御免だ。痛いのも死ぬのも冗談じゃない、そうならないために殺してきた。立ちふさがるものを排除して、自分が生きるために他の全てを殺してきた。生きているだけでダニにも劣る存在だと理解していたが、生きるのを止めるつもりはない。生存本能が訴えかける。死にたくないなら、武器を握れと。
 地を揺るがす三歩目。ザイルはコートの前をゆっくりと開けて、腰の後ろに両手を回した。――『それ』に、指先が触れる。
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