【仮面ライダーになりたかった戦闘員】
interlude-1
言えばよかった 言えばよかった
――どうしても 言えなかった
「フリーズ・オフ」
意識が、ぐいんと浮上する。
眠りから醒めるように誰かが脳に囁いたのか、俺の意識は奈落の底から引っ張り上げられた。
全身に巻きついた電極の感覚が、凍っていた感覚を覚醒レベルに持っていく。
感覚器の一つ一つが鋭敏に周囲を知覚し、目を閉じたままでも部屋の細部を確認できるほどの覚醒感。
体の状態は、全く問題ない。
目を、ゆっくりと開いた。
「対象の覚醒を確認」
「エネルギーゲイン反応良好」
「バイタルゲイン、想定基準を突破」
機械音声がよく判らない事を呟くが、そんなことは既にどうでもよかった。
体の内側に秘められた圧倒的なエネルギー。
その強さは昨日までの自分の比ではあるまい。明らかにそれが自覚できた。
失ったものは、一つ二つじゃない。
外見、声、元の身体。挙げたらキリがないだろう。だが――それでも、引き換えて余りあるほどの力が、この体にはある。
……俺はもう戦闘員じゃない。
怪人、グランドライオンだ。
「起きたな。……調子はどうだ?」
きい、と傍らで椅子の鳴る音。
改造後の怪人の高比重にも耐えうる特別製のベッドの上、体を起こして振り向いた。
ベッドサイドの椅子には、足を組んで座る見慣れた白衣の女性がいる。
シャープな顔のラインによく合う若干細めの眼鏡をかけ、鮮やかな翠の髪を邪魔にならないように髪留めで纏めた、知的な印象を受ける女性。
シニカルな笑みの一つでも浮かべれば、さぞサマになることだろう。
その女性こそ、言わずと知れた我らがドクター。
幹部連の中で、俺達が恐らく一番よく会う人だ。問いを受けて、即答した。
「……完璧です」
冗談も誇張も交えない。
この体は信じられると、自分自身で確信した。
少しの訓練で、きっと今までとは見違える働きが出来るようになるだろう。ドクターの改造は、完璧だった。
「あたしに出来る事は全部したんだ。そうでなくっちゃあ困る」
当然だと言わんばかりにドクターは笑う。それはいつも通りの笑いに見えた。いつも通りに笑おうとしていた。
けれど――隠し切ることは出来ない。
俺には見える。
その影にある、隠し切れなかったもやの様な悲しみが。
いつもの笑顔に見えるその中に浮かんだ、哀惜の錆びが。
いつも余裕を持っていて、憎らしいくらい冷静で、見せる笑みはナイフみたいにシニカル。
なのに時々、ドキッとするような可愛い笑顔を浮かべる事もあって、そのギャップの隙間をもっと知りたいって、俺に思わせたそんな人。
曇りの無い彼女の表情の一つ一つを、今までずっと反芻して生きてきた。
だから、どんなに些細な歪みでも、どんなに薄い曇りでも、俺には判る。
賭けてもいい、嘘じゃない。
「大丈夫ですよ」
俺は、独白に似た調子で口を開いた。
上手い切り出し方が見つからなかったのもあるし、太い声帯からどんな声が出るのか、確かめながら喋りたかったからでもある。
声は、潰れて低く、まるで他人の声に聞こえた。
でもドクターは俺を見てくれる。
だから俺も、真っ直ぐからドクターを見詰めた。
「大丈夫ですよ。俺は死にません。……あなたの最高傑作が、ライダーに負けるはずありませんから」
俺は、怪人になった。
この身は既に、怪人、グランドライオン。昨日までの俺はもういない。
ドクターの最高傑作っていう看板に掛けても、俺のまだ伝えてない気持ちに賭けても、絶対に負けるわけには行かない。
――だから大言壮語だって置いていこう。これで負けたなんていったら、格好悪くて死ぬに死に切れないだろうからさ。
ドクターは僅かに息を呑み、少しだけ寂しそうに――けれど嬉しそうに、笑った。
「ばぁか。……最高傑作は、自分を最高傑作なんて呼ばないんだよ」
少しだけ笑い合って、俺は手術台からゆっくりと降りた。床がみしりと軋む。
この身体に慣れる為、これから俺は少しの訓練に入る。
一通りのカリキュラムは、眠っている間に学習させられたようだった。思い起こそうとせずとも、ふっと思い当たる。
……訓練後の出撃から帰ってくることが出来なかったなら、俺とドクターが顔を合わせるのはこれが最後になるだろう。
ドクターの目の前で立ち止まり、向かい合う。
俺は見下ろし、ドクターは見上げた。
静かな空気。
先ほどまでのように、互いに談笑しあう時間は、いつの間にか終わってしまっていた。
随分と見下ろさないと眼が合わない。
構図としては美女と野獣って所か。
笑っちまうな。
「ドクター」
これが最後にならないことを祈って、俺は願を掛ける事にした。
「帰ってきたら、ずっと言えなかった事を言わせてください」
「……」
「必ず。……必ず帰ってきますから」
ドクターが、僅かに俯く。
俺の視点から、彼女の視線が消える。
それでも、言うべき事だけは全て言って行きたい。
「約束します。必ず、帰ってくるって」
巨大なこの手では、彼女を撫でてあげる事は出来ない。
巨大なこの腕では、彼女の細身を抱き締める事は出来ない。
それに、意地を張るのもそろそろ限界だ。
ここでドクターに触れようものなら、きっともう戦いになんて行きたくなくなってしまう。 離れたくないって、思う。
けれど俺は、惚れた男である前に、彼女の最高傑作でなくちゃならないらしいから。
だから、もう行こう。
返事なんて帰ってきてから聞けばいい。
俺は、負けない。
「行ってきます。……それじゃあ、また」
一歩ごと、ラボの床を軋ませながら出口へ向かう。
ドクターからの返事は聞こえない。
けれどそれでも、俺はあの人に宣言した。
だから今は、それで十分。
仕舞った思いは帰ってきてから伝えるために取っておく。そうすれば、絶対に負ける訳には行かなくなるから。
俺がドアを潜り終えた瞬間、背後でドアが閉まる。
エアロックがかかり、俺とドクターを隔絶した。
冷たいドアを背中にして、暫く立ち尽くす。
この関係に続きがあることを俺は最後まで祈り続けるだろう。
これがフられる歌でも成就する歌でも、ラブ・ソングには変わりない。
中途半端に切れた歌なんて認めたくないから、どうしたって俺は帰ってこなくちゃいけないんだ。
誰も聞かない自己完結をして、俺は歩く。
ずっと、もう一度ドクターに会えることだけを願って。
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