【仮面ライダーになりたかった戦闘員】

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   -第九話-   

この手は振れない 
         大事なものを落としすぎた











 ――忘れられない思い出がある。
 ずっと昔の話。でも、ずっと心に居座り続けている話。時間がその全容を風化させていっても、輪郭が錆び付いても、心のどこかに影を落とす。
 遠い空を見上げて、独りで立ち尽くした夜のこと。
 女々しいといわれても、忘れられなかった。

「あの踏切で待ってる!
    待ってるから……ずっと待ってるから!!」

 女々しくて不器用で、手を振って「さよなら」なんて出来なかった。
 もう相手が自分を見ていないって認めるのが嫌だった。
 初めて一緒に星を覗いた夜を忘れられなくて、初めての踏み切りで夜に待つ。
 ――もう来ることはない。
 そう判っていても、ずっと。

 午前二時。降り出した雨。
 孤独な天体観測。
 望遠鏡の向こう側に星はなく、空と一緒に泣き明かした日。
 そんな、ずっと昔の、一つの恋の終わりの話――



* * *



 ……ふわふわと漂っていた意識が、何かに焦点を合わせる。
 見えるのは映像。
 どこに自分が立っているかもわからない曖昧な夢の淵で、俺はその映像に眼を凝らす。
 最初に思ったのは、赤い、と言うこと。
 俯瞰する視点で見えるその街は、斜陽の所為でもないのにただ赤かった。
 ――べしゃりと。
 また、視界の隅が赤く染まる。
 夢から醒めるような緩慢さで、視界が鮮明になっていく。本当に少しずつ。
 見えるのは――逃げ惑う市民。そして骨の色をした戦闘員達。
 一般人にとっては、ただの戦闘員と言えども脅威だ。
 そうでなければヒーローなど必要ない。戦闘員達は逃げる事しか出来ない市民を、まるで紙を破るように簡単に殺していく。そこには愉悦も悲哀も何もなく、ただ事務的に"作業"を遂行する無機質さだけがあった。


夢だ。


 人格、性別、人種、年齢、その区別は一切ない。
 最低なほどに最悪な平等がそこにある。即ち、生きた人間は全て死んでいく。
 叫びながら逃げ惑い、やがて殺されてゆく人間たちは、まるで人形。
 同じような体勢で倒れて、しゅうしゅうと血を溢れさせてまたどこかを染め、それきり二度と動かなくなる。
 その光景はただ単純に暴力的過ぎて、逆にすべての感慨を奪い去ってしまうほど。
 シュールな人形劇じみた、モノクロの舞台。ただ一色だけ明らかな赤。


こんな作戦は知らない。


 走る戦闘員たちの中に、見覚えのあるシリアルの奴がいた。
 意識を集中させて思い出し、数秒と経たないうちに辿りついた答えは何より近い場所にあった。見覚えのある……どころの話じゃなく、それは自分自身のシリアルだったから。

 俺が走って行くその先には、女がいた。
 短い髪をしていた。慣れないパンプスでコンクリートの地面を走る、その後姿は俺にしてみれば止まっているようなもの。
 すべてを俯瞰していた視線が、やがて地面を走る自分に重なる。
 手を伸ばせば届きそうな位置関係。
 足音を彼女のすぐ背後で響かせると、その重圧を感じてなのか彼女の足がもつれ、ざらざらとしたコンクリートの上に重い音を立てて転び伏す。
 立ち上がろうとすることすら出来ず、彼女は背後に迫った俺を、地面に倒れたまま振り仰いだ。
 見覚えが、ある。
 髪、切ったんだな。
 君には、髪の長い方が似合うんじゃないかって今でも思うのに。
 ……昔、言ってた通りにさ。


思い出した。
それは、いつか大切だった人。


 中学二年、初夏。
 淡い恋愛と望遠鏡、天体観測。


忘れられない人。


 上映される断片的な記憶、それを背景にして俺の手が伸びた。
 視点はそのまま。俺の目線を保ったまま、左手が彼女の顎元を掴み、引きずり上げるように持ち上げる。顎関節が恐怖を表すように痙攣している。片手で簡単に彼女は持ち上がった。


それは、だめだ、
今すぐに止めないと。


 クレーン・キャッチャーで持ち上げられた人形のよう。或いは徐々に縄の方が上がる絞首刑。
 手にまで、頚椎が上げるきちきちとした悲鳴が届く。
 そのままでも自然に折れるものを、早めるように右手が細い首筋を絞り上げる。


やめろ、やめろ、やめろ。
それ以上は。いけない。
やめろ……!!


 めきめき、みちみち、
 音、そして手に伝わる感覚。
 力は緩まない。見ているのは自分の目なのに身体は自分のものじゃない、不一致の銀幕。
 指が食い込んで行く。
 彼女の顔にチアノーゼの兆候が見える。
 窒息死は、ひどい死に方だ。
 知っている。


止まれ、止まれ、止まれ……!!


 骨。亀裂、手に伝わる重い感覚。
 命が潰れていく。ごりごりとした感覚。
 引っ掛かる。
 彼女の命に、俺の骨が引っ掛かる。

……止まれ!!!


「……止めろーーーーーーーーーッ!!!!」

 

* * *






「―――!!!」

 意識が表に引っくり返って、暗い闇に居ることに気が付いた。

 心臓が、必要以上に鼓動している。擬装用の汗は、動きを阻害しないように極めて水に近い組成をしている筈なのに、まるで本物のような不快感を伴わせて身体に絡みつく。

 全身が脂汗に塗れていて、呼吸が浅い。
擬装用の汗の筈が、まるで本物みたいに身体に絡み付いてくる。

 ずきずきと頭の芯が疼くように痛む。
 気分は最低だった。

 ベッドサイドに腰を掛ける姿勢に改め、頭痛を抑えるように俺は頭を抱えた。
 最低の夢を見た。
 中学生の頃、始めて付き合った女の子が出て来た。

 たった1ヶ月の付き合い。
 児戯じみた、まだ付き合い方を知らない子供の恋愛。
 俺はよく判らないままに彼女を好きになって、よく判らないままに付き合い始めて。
 そしてよく判らないままにキスをして、よく判らないままに振られた。

 でも、最初から最後まで俺は本気だった。
 純粋だった、あの頃の思い出。


        夢の中で俺は、その彼女の首を引き千切っていた。


 俺はもしかして、いつのまにか、気付かずに、
大切だった人達を殺しているんじゃないだろうか。

 夢の中ほどあからさまじゃ無くったって、一般人を犠牲にした作戦だってあった。
その中に、好きだった彼女や、次に好きになった人や、
小学校の先生、優しい隣のおじいさんがいなかったなんて、言い切れないんだ。


 思考がまるで泥の沼みたいに、俺の意識を絡め取る。
 いくら足掻いたって抜け出せないのに。
 いくら考えたって回答なんて出ないのに。
 いくら考えたって―――……
 


……頭が痛い。二日酔いだ……。

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