-第八話-
上着もちゃんと鞄に詰めた
切符も財布に入れた
ついでに、あの子の写真も
いつもと同じ休憩所。
青い缶を握って椅子にのんびりと座っている。
流れてくる有線放送は、聞いた事のないスロウ・ジャズだった。悪くないBGM。
今日はまだ警報も発令されてないし、デスクワークだけの平和な一日になってくれそうだ。
虚空を見上げてぼうっとする。思索するのすら忘れるような沈黙の時間。自分が声を出さない分の沈黙は、有線放送が埋めてくれていた。
毎日こう穏やかならいいのに、と思ったところで、ライダー達のいう「悪の組織」の構成員がそんな事を考えているという情景に気づき―――自分の立場と思考の構図を冷静に考えて、少し笑う。
有線放送の曲が変わる。僅かなノイズと、流れ出す新しい曲。
新しい曲に入ってもやることは変わらない。ぽっかりと空いた休憩時間をぼんやりした沈黙でと埋めていくだけ――
「……お、いたいた。おーい」
――なんて考えていたら、呼ぶ声が聞こえた。
見回しても休憩室には俺一人しかいなかったし、それに何よりその声には聴き覚えがある。
誰の声だったかを考えながら振り向いてみると、視線の先には、特徴あるカラーリングの戦闘員――初めの頃、随分とお世話になった先輩―――が歩いてきていた。
もう随分久しぶりだったから一瞬だけ戸惑ったけれど、すぐに調子は戻ってくる。
ジュースを置いて椅子を立ち、先輩の方に少し歩み寄った。
「あれ、先輩。どうしたんですか?」
「久々にお前をいじめたくなってなぁ」
言葉と同時に、ぬう、と伸びた先輩の太い腕が止める間もなく俺の頭に回る。
……うぐ。 ヘッドロックだ。先輩の得意技だ。
調子が戻ってきたならこれも思い出しておけよと脳味噌にクレームを付けたら、生憎覚えているのは体のほうだから管轄外だとはねっ返された。うぐぐ。
「うわ、か、勘弁してくださいよぉっ」
「うっせ、勘弁しろって言われて勘弁する奴がいるか!」
「あたた、せ、先輩! ギブ、ギブアップ!! ギブギブ!!」
「離さんっ!」
「あだだだだだだ!! い、イィーーーーッ!!!」
大声で笑う先輩と、ヘッドロックされながら喚く俺。
フッと、頭が痛みを忘れて記憶の扉を開く。
あの頃、この組織に入ったばかりの俺に、様々なことを教えてくれた人。いつでも俺の一歩先を照らしてくれた先輩。迷ったときも、間違ったときも、転んだときも、甘やかさないで解決法を教えてくれた。
仕事を離れても兄貴分として、周りからも人気の高い人だった。俺がここに来た時から、ずっとそう。
……気がついてみれば時間は止まらないで流れていて、こうやってじゃれあうのも、随分と久しぶりだ。俺が曲がりなりにも一人前に仕事をするようになって、随分と経つから。
暫くして、先輩は一度俺から離れてジュースを買ってきた。
肩を並べて同じ椅子に座り、他愛無い話をする。
最近のこと。
笑い話。
少し昔には毎日のようにしていた下らない話。
色々な話題を投げあい、昔みたいに談笑して、話題が少しシフトした時――将来の話に差し掛かったとき――先輩はふっと黙り込んだ。先輩の視線が下に行って、自然と空気が重くなる。
「先輩……?どうかしたんですか?」
「……あのな」
またぷつり、と言葉が切れる。
何か気に障ることでも言っただろうかって俺が自分の言った事を引っ掻き回してると、ぽん、と肩を叩かれた。見れば、手元の缶コーヒーの飲み口を覗きこむようにしていた視線が、こっちに戻ってきている。
「実はな。
俺、今度――怪人になることになったんだ」
飲もうとして持ち上げた俺のジュースの缶が止まる。
……言葉が一瞬、出なくなる。
俺が言葉を詰めてるのに気付いたのか、そうでないのか。重い空気を払うように、先輩はいつもと同じ、気負わない口調で続けた。
「羨ましいだろ? ……おら、おめでとうくらい言え」
「……おめでとう、ございます。良いな、どんどん出世していきますね」
そのドクロの向こうの表情が見えない。
ああ、この人はどんな顔をして、俺に話しかけているんだろう。
人の表情をこんなにも確かめたいと思ったのは久しぶりだ。
「……ありがとよ。よし、今日は俺のおごりで一杯やろうぜ」
「――はい」
頷く以外に無かった。
……それを判ってるから。
知っているから。
きっと先輩だって――いや、知らないはずがないんだ。
新たに生まれる怪人は、一週間と持たずライダー達に殺されているって事を。