【仮面ライダーになりたかった戦闘員】

back | next | index

  -第六話-  

僕の事なんか 一つも知らないくせに 
僕の事なんか 明日は忘れるくせに







「や、止めろ!! ひっ!?」
 涙と汗の類で顔をぐちゃぐちゃにしながら、出た腹をベルトの上で弛ませた男が地面を後ずさる。俺はゆっくりと前進した。別に恐怖心を煽るつもりがあるわけじゃなく、ただ平静を保とうと躍起になってるだけだ。今し方、二人のボディーガードを音もなく昏倒させた右手を握り締める。
「か、金なら出す!いくらでもある!だから止めろ、後悔するぞ!」
……過去を悔いて迷うことを後悔と言うのなら、そんなのはもうし通しだ。
 今更何のことがあるだろう。どん、と後ずさる男の背中が壁に当たった。顔に刻まれた絶望が深くなる。 周りではボディガードが昏倒していた。死んでいないと思いたいが、保証はない。彼らの体を踏み越えると、ターゲットはもう目の前だった。
「頼む!頼む、死にたくない、死にた――」
 耳を、貸してはいけない。
 せめて一瞬で死んでくれと願いを込めて、俺は右拳を振りかぶり、渾身の力で繰り出した。


* * *


 ――ざああああ、雨に似た熱い音がヘルメットを叩いていく。
 降り注ぐ雫で身体に染み込んだ赤色を落とす。泡を立てたスポンジを嫌と言うほどに身体にこすり付けて、鉄錆の匂いを剥がそうとしていた。
 人を誰か一人殺すたびに、まるでヤスリで心を撫でられて行っているような錯覚を覚える。
 いつか心が磨り減りきってしまったら、それこそ平気な顔で人を殺せるようになってしまうのだろうか。
 ……御免だ、と思う。心すらなくしてしまったら、俺はただのバケモノになってしまうだろう。

 今日殺したのは、汚職をした政治家だった。様々な方法で金を溜め込み、腐敗した活動を繰り返す男だった。世界のためだ。そう自分に言い聞かせ、拳を振るった。
 だけど、慣れない。胸骨をへし折り、心臓を拳で抉る感覚だとか、凍りついた恐怖の表情だとか、そういうものがいつまでも脳裏にこびり付く。気にしていては仕事は出来ないと判っているけれど、やはりどうしても吐き気を覚えずにいられなくなる。
 剥がそうとしてる筈の血の臭いが体に染み着いている気がした。
 一皮むくような念入りさで体を洗い、何度も何度も何度もシャワーで体を叩いて、ゆっくり立ち上がる。
 ヘルメットから流れ落ちる水滴がぴたりぴたりとタイル張りの床に落ちて行く。
 それを見ていると、ぴちゃりぴちゃりと血が落ちるのを思い出してしまう。
 俺に殺されて死んだあの政治家。 あの男にもきっと家族がいたはずだ。 妻や娘や、愛する人たちがきっといたんだ。俺が、大切な人のためにこうして戦っているみたいに、もしかしたらあの政治家もそういう人たちのために悪事に手を染めていたのかもしれない――。
 そんなことを考えたら、目の裏側が熱くなった。……なんて、欺瞞。
 自分で殺しておいて、今更こんな事を考える。涙なんてもう流せないくせに、こうして泣きそうになるなんて。
 ああ、近頃はいつもこうだ。
 頭に、考えなくてもいい余計な事ばっかりがこびり付いて離れやしない。
 止めだ。 ……止めにしよう。 こういう日はさっさと考えるのを止めて寝るに限る。

 そう考えて一歩目を踏み出した矢先、床をつかまえるはずの右足の裏が何かを踏みつけた。
 タイル張りの浴場の床の上に転がっていたそれは、摩擦力を持っていない。
視界が90度一気に角度転換してまるでマンガみたいに自分の右足が映りこむ、思い切り滑ったのだと理解した時には、メットが床のタイルと火花を――
 
 ――ごっ。


* * *


 頭とか背中とか色々をさすりながら、タオルを首に引っ掛けて、最低な気分で風呂を出る。痛い痛いとボヤきながら部屋に戻ろうとすると、丁度そのときに隣の女子風呂の暖簾を分けて何処かで見たような顔が出てきた。先ず目に付くのは湯にふやけて少ししおれた、透けるような赤毛。
 思い出そうと少し考えると、答えは程なく見つかった。食堂でトンカツをオマケしてくれた、あの娘だ。
 向こうもこちらに気付いたらしく、ぴたりと眼が合う。
 何も言わず立ち去るのも不自然だし、一言ぐらい声を掛けようか――なんて迷ってると、その隙を突くみたいに彼女のほうから声を掛けてきた。
「あ、やっぱり入ってたんだ」
 明るい声。食堂で聞くのと変わらない。
 でも発言の意味が取れなくて、少しだけ黙り込む。
 まるで俺が風呂に入っていたことを何かの理由で確信してたような台詞だ。
 首を傾げた俺が可笑しかったのか、少しだけ笑いながら彼女は続ける。
「キミ、カツカレーの人でしょ?さっきお風呂で騒いでた」
「わ、わかるんだ?」
 どうして、と俺が疑問の言葉をあげる前に、彼女は俺の先を読むみたいにして言葉を続けてきた。
「あはは、あたし記憶容量が拡張されてるから、人の声は一度聴けば忘れないんだ」
「……へえ」
 確かに、彼女は戦闘員じゃなく非戦闘要員だ。 食堂と言う激戦区にいるのだから、彼女に必要なのは腕力でも殺傷能力でもなく、注文を記憶する力だったり要領の良さだったりするのだろう。
 何とはなしに空気が軽くなる。
「ヘルメットって脱げるの?」
 問われた言葉に少しだけ黙って考えてから、「脱げるよ」って笑って答えて、見てみたいと言う彼女を軽く諌める。
 近頃会話らしい会話を交わしていなかったから長い話が出来るか不安だったけど、そんなのは話しているうちに吹っ飛んでしまった。手近な時計の長針が少し傾くくらいの時間、彼女が湯冷めを心配しはじめるまで、俺達はそんな何気ないやり取りを続けていた。

back | next | index
Copyright (c) 2005 Hone All rights reserved.