あなただけ――――……
台から降りて、一歩。
彼女のほうへ歩く。
ためらうように、彼女は、何度も口を動かし、つぐむ。
何かを言おうとして、出来ずに、それを何度も繰り返す。
俺は足を進める。
少しずつ縮む距離。
――後三歩の距離まで、俺と彼女の間が詰まったとき、顔を上げた彼女の瞳は、零れ落ちる宝石みたいな涙に彩られて、歪んでいた。響く嗚咽、ぽろぽろと零れる涙。
……ドクターは、彼女に涙を残してくれたのか。
「う、っく、 ごめ、んね……」
「……え?」
「…ごめんね、キミの子供、産めなく…なっちゃった……っ……」
何故彼女が謝るのか、最初の一瞬判らなかったけれど、直ぐに納得した。そして、ひどく物悲しくなった。
ああ、君は知らなかったんだ。本当はもう俺の子供なんて産めないって。
俺は、本当に君に何も残さずに消えてしまうところだったんだって。
彼女の言葉は続く。
「ごめんね……でも、あたし……子供が出来ても、キミがいなきゃ嫌だったから…………キミがいて……くれな、ぃと……やだったんだからあっ……」
途切れ途切れに、嗚咽でゆがむ言葉の列。一言一言が俺の心臓を掴んで揺さぶりたてる。
後三歩の距離で、凍りつく足。
照明にきらきら、光って落ちる涙の粒が、地面に落ちてはじけて。
彼女の言葉が、突き刺さる。この上なく優しくて温かい、抜けない棘のように。
「……だから……だからぁっ……忘れて良いなんて…言わないでよぉっ…!!」
「……!!」
凍りついていた足が、弾けたみたいに体を前に進める。
三歩分の距離なんて、無いのと等しいくらいに簡単に埋まって、俺の腕は泣きじゃくる彼女の体を包み込んだ。
抱きしめる細い体には、優しい暖かさが満ちていて、出るはずのない涙が、今なら誘われて頬を伝っていきそうな錯覚すら覚える。
腕の中で震える、確かに存在する俺のあいするひと。
夢じゃないことを何度も祈った。本当の俺は死んでしまっているんじゃないかって、今も瓦礫の下で少しずつ朽ちているところなんじゃないかって。そんなことを、何度も疑っては、抱きしめる手を強めた。零れていく涙が、震える彼女の身体が、冷たさを忘れさせてくれる温もりが、これが現実だと俺に優しく教えてくれるから。
ああ、ごめん。ごめんなさい。
泣かないで。謝らないで。
謝らなきゃならないのは俺なんだ。
君を捨てて行こうなんて、一瞬だって思いやしなかった。
言い訳になってしまうかもしれないけれど。
戦うときだって、ずっと君の笑顔ばかり考えていたんだから。
君の幸せばかり思っていたんだから。
――溢れる雫が、俺の胸板を濡らしていく。
手を離したら、簡単にくずおれてしまいそうな、俺の大切な人がここにいる。
生きていた。
そして、俺も、生きていた。
みんな、ごめんなさい。まだそっちには逝けそうにない。
まだ生きてくよ。
どこでかは判らないけれど、生きていくよ。
彼女と一緒に歩けるから。
まだ、彼女を幸せに出来てないから。
幸せをくれたお返しをまだ出来てないから。
俺、彼女と一緒になりたい。
俺、彼女と幸せになりたい。
胸を張って、今、幸せですって言い切れるようになりたい。
解ってる。いくつも命を奪って、いくつも命を見殺して、一人いつも生き延びて身勝手なのは。
――知ってるさ。
……だけど、それでも……
「ひとり……に……しないでぇっ……」
「ごめん……ごめんよ、ごめん……」
……ああ、みんな、ごめんなさい。
――神様は酷い。結局俺の願いは一つも叶えてくれなかったんだ。
――……ありがとう。