【仮面ライダーになりたかった戦闘員】

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  -第十四話-  

君のそばで 思い出になるよ

遠く続く―――
この朝の中で










「っは、はぁ、はぁっ、っつ、は、っ――!!」

 ただ急ぐ。そればかり考えている。
 間に合わせる。間に合わせたい、――間に合え!
 無様に息を荒げて、それでも俺は脚を止めずに、コンクリートの地面を後ろに蹴り飛ばす。
 最初はタクシーに乗っていた。けれど、町のほうに入るにつれて車の進み方がひどく遅くなっていった。信号が多い。周りの車が多い。渋滞と言っても過言ではないほどに。
 だから、俺は一番大きい紙幣を運転手に叩きつけて、車を飛び出した。

 何も考えていられなかった。人にぶつかっても、謝ることさえ思い浮かばなかった。
 信号が切り替わるのを待ちきれずに、幾度無視して道路を突っ切っただろう。その度に罵声を浴びせられながらも、俺は足を止めない。
 間に合わなかったら絶対に後悔すると、考える前からわかっている。降って沸いた災難を攻めるよりも、俺はまずそのときにあの娘の傍にいなかった自分を責めた。
 苛むように、もっと急げと足に檄を飛ばす。
 必死になって走る。でも、遅い。まるで泥の流れのように。何でもっと速く走れない、改造手術を受けたのに!

「妹さんが……危険な状態だそうだ」

 あの時、大使が言った台詞の意味を理解するまで、少しの時間がかかった。
 悪い冗談を、と軽く返せる空気じゃないことを、理解した次の瞬間に悟る。
 大使の真面目な顔といつに無く沈痛な雰囲気が、その言葉に嘘がないと告げていた。
 ――だから、俺はそこから先を考える前に走り出した。
 俺が走り出すのを、大使は止めなかった。
 擦れ違う同僚がみんな怪訝な顔で俺の姿を見る。それに構うことなく、俺はスーツを脱ぎ捨てて基地を飛び出した。走らないで間に合わなかったときにする後悔の味なんて知りたくなかった。

 ――それこそまさに、降ってわいた悪夢のような話。街を走る今も、心臓を潰そうとするみたいに俺の胸の内側を締め付ける。
 わざわざ大使が直に言ったという事実が、俺の鼓動を焦りに彩る。安定しない脈拍、歪んだエイトビートの心音。息が切れる。擬態用の汗が流れる。息が、詰まる。
 歯を食いしばりながら急ぐその先に、白く大きな建物が見えてくる。見覚えのある病院。あの娘が――妹が今もいるであろう病院。
 足を壊してしまっても構わないと、俺は限界までスピードを上げ、病院の入り口を目指した。擦れ違う人のことごとくが、戸惑いと不審を眼に浮かべて俺を見る。
 入口の前で一瞬だけ立ち止まった。自動ドアが開くのももどかしく、中に飛び込む。
 走って受付を突っ切り、目的の病室へ、走る、走る、走る。後ろから制止するような声が響いたが、聞こえないふりをした。病室なら覚えているし、今は振り返る時間さえ惜しい。
「あの、ちょっと、病院の廊下は静かに……きゃっ!?」
 俺を止めようとした看護婦の脇すれすれを駆け抜ける。……そんなことは判ってるんだ、でも、聞けない。止まってられるか。
 生きている意味を失いかけて、どうして呑気に歩いていられるって言うんだ?
 看護婦の制止が俺を引き止める前に、俺は廊下を駆け進んでく。
 エレベーターが牛歩で止まったり動いたりを繰り返している。無視して、横の階段に一歩目を踏み出した。二段抜かしで駆け上る。
 階段を立て続けに四階分駆け上り、廊下を少し走る。目的の病室は、すぐそこにある。
 ネームプレートの確認も必要ない。幾度も見舞った過去が、脳裏を過ぎった。
 五〇三号室。忘れもしない。
 息を落ち着けながら、静かにドアを――開く。

 病室の中、最初の視界の中には白衣を着た医師がいる。視線をわずか左に滑らせれば、すぐ傍に白いベッド。その上に――張られた白いシーツと布団に埋もれるように、妹が横になっていた。
 顔色は、青いとすら言えない白。医師の白衣よりも、ベッドのシーツよりも白くて、それが末期の時が近いのを教えていた。
 白衣の医師が、こっちに向かって頭を下げる。合わせるように俺もほんの少しだけ、うなずくのと大して変わらないくらいに頭を下げた。
 殺風景な白い病室の中で、医師の白衣と白いベッドはいつも以上に無機質に見える。その純白に取り囲まれた妹が、今にも死に攫われてしまいそうで、ひどく怖い。
 医師の視線を追って気付いたのか、妹は俺に顔を向けて、僅かに表情をゆがめる。
 ――それが無理をして浮かべた微笑なのだと、一瞬遅れて気がついた。

 医師は俺と入れ替わるように、病室から出て行った。病的なまでに清潔な個室に、静かに滑り込む。
 入ってみると意外と病室は広くて、ひどくがらんとしていた。孤独感をあおるような、清潔な白の壁紙。単調な模様の天井、ベッドから近いはずのドアが、彼女の目からどれだけ遠く見えたことだろう。
 ベッドサイドに椅子を引き、手を膝に置いて彼女と相対する。精一杯に浮かべた微笑は酷く苦しそうで、無茶をさせているのがよくわかってしまう。
 俺の内心を悟ったのか悟らないのか、妹はゆっくりと口を開いた。シーツの上に投げ出していた細い右手を俺に伸べて。
「久しぶりだね、お兄ちゃん」
「……ああ、久しぶり」
 ひねりも素っ気もない台詞しか返せない。彼女が精一杯に伸ばした手に、自分の右手を重ねた。
 こんなぎこちない俺にでも、彼女は笑みを見せようとしてくれる。俺が生きる理由だった、その笑顔を。
 ――それからしばらくの時間、妹と、色々なことを話した。昔のようには行かなかったし、ぎこちなさは拭えない。時折咳き込む彼女を労わりながらの、どこか遠巻きな会話になってしまう。けれど、それでも、彼女が嬉しそうにしていてくれるから、俺は救われていたと思う。
 他愛無いことや、手紙のこと、大切な思い出のこと。彼女にまつわるエピソードを、余さず語ろうとでも言うように、短い時間のほとんどを口を動かすことに費やしていく。
 話し始めて十数分で、ふと気がつく。
 話の内容はどれもこれも、彼女がいなくなってしまえば、もう語る機会のないものなのだと。
 ……この時ばかりは涙腺をなくしたことをいもしない神に感謝した。
 泣けないことを嘆くことは、少し前には何度もあった。けれど今はただ、彼女に心配をかけずにすむことだけが喜ばしい。
 涙は、心の震えを伝染する。俺の涙が、彼女の心をどれだけ揺らすかなど考えたくもない。

 彼女の初恋についての話に相槌を打ったところで、話題が途切れた。
 不意に訪れた静寂。居心地の悪い沈黙を破るため、話題を捜して俺が眼を伏せると、ふと妹が言った。
「……ありがとね」
「え?」
 礼を言われるなんて、思ってもいなかった。俺は君がいるから、ずっと戦ってこれたんだって言うのに。
「……血、繋がってないのにね……ごめんね」
「何……言ってんだよ」
 彼女の目の端に涙が滲む。別れの歌じみて聞こえる謝罪の言葉。なんで、謝る? 俺は――君に支えられていたのに。
 どんなに痛い目を見ても、君のためだから耐えられたのに――
 考える間にも、彼女は言葉を続ける。
「夢……いつも、見てた夢でね。お兄ちゃんとかくれんぼしてるんだ。
 いつも私が鬼…。全然見つからないんだ、お兄ちゃん……。
 でも……見つけたよ、やっと。……だから、次は……ほら、お兄ちゃん……鬼……」
「……」
 途切れ途切れる言葉、俺に投げかけられる重たいそれ。流すはずのない涙が頬を伝っていく気がする。俺の顔を見て、彼女は、重なっていた手を解いてゆっくりと持ち上げる。――そして、促すように。
「……ねえ」
 苦しみの縁に立ちながら、童女のようなあどけない表情で。宝石みたいな涙を浮かべて、行き場をなくした手を戦慄かせて。
 ――そして震える唇で、俺に促す。
 その手を取り、言葉を言う以外に、俺が何を出来ただろう?

「……もう、いいかい?」

「……もう、いいよ……」

 ――それが、最期だった。
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