Nights.

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  CrimsonMemory  

 父親が、いたのだという。
「ナイツの中でも指折りの術者でな。その時代のナイツの中では右に出るものがいなかったって話だ。近距離クロスレンジから中距離ミドルレンジまでの戦闘では、特殊な制約でもつけられない限り無敵だったらしい」
 ジークは言いながらゆっくりと煙草をくゆらせた。ふう、と煙を吐いて散らす。
「オレがこれを過去形で話す理由くらいはわかるだろう? 親父は、随分前に死んじまった。もう少しで十年になる。そして簡単に言っちまえば、それがオレの戦う理由なんだ」
 ジークがつむぐ言葉は、静かで、陽光に似合わない薄暗さを孕んでいる。咥えていた煙草が短くなり、先端の灰を風がさらっていく頃、ジークは短くなった煙草を弾き捨て、新しい煙草を取り出し、咥えた。
 ジッポライターのホイールの音。ほのかなオイルの匂い。
「……そういう暗い話さ。まだ聞く気が残ってるなら、少しだけ長く話そう。シジマも、ミツリも、この話は知ってる。十三番分室でこの話を知らないのは、今はお前だけだ。そして、オレは信頼できる仲間にはこの話をしておきたいと思ってる」
 流し目をくれる十三番分室のエース。そこまで言われたら、頷かない理由はない。
「聞かせてくれよ。さっきも言ったろ? 昔が気になるって。変な同情とか、そういうのはできねぇし、しねぇ。どんな過去を過ごしてきたって、おれが知ってるのは今のジークだけだし、接し方だって今以外のやり方を知らないから。……聞かせてくれよ、その話」
 言葉を聴いたジークはどこか驚いたような顔をすると、煙草の煙をくゆらせながらどこか優しい笑みを浮かべた。
「……上等な返事だ。さて、それじゃあ、少しだけ思い出しながらしゃべるとしよう。日が落ちる前には、終わらせたいもんだな」
 ジークはおどけたように言うと、少しだけ目を閉じ、ややあって一言一言確かめるように発音した。
「あれは、オレが十四の頃の話だ。オレが十四だから、リリィは十歳だったな。物心付いたときには、お袋はもういなかった。だからオレたちはほとんど、親父一人に育てられたようなもんだったんだ――」
 過去が、ゆっくりとあふれ出す。


 ガキの頃からナイツの存在は知ってた。親父は秘密主義じゃなかったからな。子供とか、そういう無力な身内がいるって事は、猟人として有名になればなるほど弱点になる。言ってみればオレたちは親父のアキレス腱だったわけだ。
 親父もそれを分かってて、自分が動くときはオレたちを分室に預けた。あの頃の十三番分室にも腕利きは多くてな。そんな優秀な奴らに託児所の保母さん保父さんの真似事をやらせたわけだ、うちの親父は。笑えるだろ?
 オレとリリィは昔から、ナイフだの拳銃だのに馴染みがあってな。親父の手伝いをしたいって言って、暇さえあれば分室の連中に射撃や格闘術やらを教わってた。親父にばれると渋い顔をされるから、親父がいないときを見計らってな。
 訓練を重ねれば自信が付く。自信が付くこと自体は悪かないんだ。自信は、倒れそうなときのバックボーンになる。自分を信じることが何より大切なナイツオレたちにとって、文字通りの生命線だ。
 けどな、その頃のオレたちは少し、天狗になってた。自慢するようで悪いが、オレもリリィもそこそこにセンスがあった。武器があれば誰にも負ける気がしなかったんだ。そして、そいつを過信だと知らなかった。
 もう自分たちでも戦えるって、親父にアピールしたかったんだろうな。
 九年前の一月。オレとリリィは適当な魔具を拝借して、他の連中のワープに乗って分室を飛び出したんだ。親父のいる場所まで。
 このとき、誰かがもう少し気を配ってれば、あんなことは起こらなかったのかもしれない。今になっちゃ、かもしれない、ばかりさ。オレがもう少し謙虚だったなら、室長がもう少し慎重にワープを設定していれば、オレとリリィが掠め取った魔具がエースの魔具じゃなかったなら――
 そう、思う。けどあれは起こっちまった。人が二人死んで、もう一人、戦えなくなった奴がいた。
 死んだ二人のうち片方はオレの親父で、もう片方は親父の親友だった女だ。レイン=ヴァスケンスって名前の、青味がかった銀髪の美人さ。リリィにナイフを教えた。
 戦えなくなった奴ってのは、天木戒アマギ・カイっていうおっさんでな。今はナイツ直属のウェポンアドバイザーをしてる。オレに拳銃を教えてくれた、スキンヘッドの大男だ。
 オレがこっそり持ってったのはカイの魔具で、リリィはレインの魔具を手に取った。そのときは、分室に直接攻撃がくるなんて思ってもなかったんだ。ただちょっとだけ、親父と肩を並べて戦ってみたかった。後で怒られるとか、そういうことは意識の外に追い出して。
 ……想像が付くだろ?
 あとは、今回の状況と同じような話さ。ただ、その頃の室長は言っちゃ悪いが黒ほど優秀じゃなかった。そして外部からの助けもなかった。保管してあった魔具を取って、レインとカイは必死に戦ったが、真怨相手じゃ話にもならない。分室の機能は崩壊し、出払ってた連中は出先で分断され、各個撃破の憂き目を見た。オレが飛んだ先にいた、親父を含めて。
 ……オレはバカだった。最低最悪のな。オレのせいであの頃の十三番分室は壊滅したようなもんだ。呆れてくれていいぜ。

 あの瞬間が、忘れられないんだ。
 親父は、一体の真怨を、もう領域を展開できないレベルにまで追い詰めていた。赤い土くれを人型にこね合わせたような見てくれの真怨でな、親父はそいつを銃弾で完璧に封殺した。四十五口径の弾丸が、まるで生き物みたいに軌道を変えて、四方八方から赤い真怨に向けて殺到するんだ。そのまま弾丸を叩き込み続ければ、十秒持たずにその真怨は死んだはずだった。
 ――そこに、オレたちは踏み込んじまった。
 最悪のタイミングだった。親父はオレたちを見て、一瞬だけだが動揺で手を止めた。真怨はその隙を逃さなかった。本能的に弱いほうを選んだんだろうな。オレたち二人のほうに、真怨の赤い爪が伸びた。生々しい音がして血が飛び散る。
 オレもリリィも、痛い思いはしなかった。目の前に飛び散った赤い血は、オレのものでもリリィのものでもなかった。……生涯無敗だった親父の戦歴に、最後の最後で泥が付いたのさ。親父はオレたちを守って、倒れたんだ。
 けたたましい笑い声を上げる真怨。そのとき、何を叫んだのかは覚えてないんだ。抜けていく力、少しずつ落ちていく体温。生気のない顔に、苦しげな表情を浮かべて倒れてる……親父の姿だけが、脳裏に焼きついて離れない。
 泣いたよ、無様なくらいにな。必死で親父の名前を呼んだ。持って来た魔具を振るうことも出来なかった。ただ親父の手を、リリィと一緒に握った。落ちていく体温を必死で止めるみたいに、親父を暖めるみたいに。そんなことで死の淵から救えるわけがないと、分かっているのに。
 真怨が笑う。笑っている。真っ赤に口を割って、赤い影絵みたいな顔で、ガラスを引っかくような高音で嘲笑する。
『ユカイコッケイキワまりないな、カレル=スクラッド! ムテキのハンターとオソれられたキミのサイゴがそんなモノかね! ヒトとしてのジョウなどとうにスてたかとオモっていたが――いやナカナカどうして、キミもヒトのオヤだったのだな!!』
 真怨は爪をざりざりとこすり合わせ、哄笑をあげた。オレたちは震える親父の手を握っていた。もしかしたら、震えていたのはオレたちの手だったのかもしれない。今となっては、それもあいまいさ。
 オレがはっきりと覚えてるのは、血まみれで倒れている親父と、親父が最期にオレを呼んだ声だけだ。そこばっかりが、感光したフィルムみたいに脳裏に焼きついてる。他の事は随分曖昧に薄れていくのにな。
『ジーク……リリーナ』
 親父が呼ぶんだ。口からあふれる血も、何もかも吐き出して、血の泡を口元に貼り付けて。血で錆びた喉から、いつもと同じブルースを歌うような声で。
『――これを掴め』
 親父は何かを指図したわけじゃなかった。『これ』って指示語が何を指しているかなんてわからないだろ? けど、オレたちには一瞬で理解できたんだ。親父が何を指したのか。
 リリーナが伸ばした手と、オレが伸ばした手が重なった。親父の胸の上にあるアクセサリーの……魔具の上で。


「くく、ふ、ふふ……ワラわせてもらったよ。さてさて、おトウさんとのおワカれはスんだかな? アンシンしていいよ、すぐにオナじバショにオクってあげよう! ワタシはヤサしいからね!」
 真怨――ジェイル=クリムゾンメモリーは愉快で仕方がなかった。
 ようやく。ようやくだ。十数年も前から煮え湯を飲まされ続けてきたあの蒼い瞳の男を殺したのだ。喉につかえていたものが落ち、肩の荷が下り、彼は長らく縁のなかった開放感に浸っていた。
 だからこの子供達も苦しめずに送ってやろうと、そんな殊勝なことを考えたのだ。
 何も問題はなかった。このガキどもは一般人に毛が生えた程度のただの子供。魔具の扱い方など知りようもない。父親の骸に取りすがり、涙を流すことしか出来ぬ。
 それはまるで、蟻を目の前にした幼い子供の優越感。絶対的優位に立ったもののみが感じる喜悦。
 この上ない、美酒のような感覚に浸り、ジェイルは無造作に一歩を踏み出した。
 ――気付かなかったのだ。
 その酔いは、悪酔いだったのだということに。

 銃声が響いた。
 初め、何が起こったのかわからなかった。気がつけば泰然と振っていた右腕が見えない。――いや、亡い。
 きょとんとした表情で、ジェイルは視線を前へと向けた。そこには、少年の姿があった。
 先程まで、父のために涙を流していた少年だ。
 涙を流す以外に何も出来なかったはずの、脆弱な生物。なのにその手には、九ミリメートル口径の拳銃があった。顔が上がる。ガン・ブルーの目。群青の瞳。溢れるほどの怒気と悲壮なまでの殺意。
 それはどこかで見たものだと、その瞬間、汚染回想ダスク・イメージの名を持つ真怨は思い出した。
「オ。あ……ァ?」
 ――その瞳は。
 カレル=スクラッドが、かつて昏闇に向けたものではなかったか。
「ぎは、いはああアああァあ!?」
 右腕は根元から千切れ落ちていた。あの一瞬に何発の銃弾を叩き込まれた? 自分はそんなにも慢心していたか? いや、慢心していたことは認めよう、だが気づかぬ間に腕まで落とされるとは誰が思おう! 左手で傷口を押さえようと、己の体を抱くように左腕を動かしたその瞬間。
 今度は、左腕が、いやな音を立てて、落ちた。
「ぎ……!?」
 突風が顔を撫でる。傷口に発狂せんばかりの痛みを残して吹き抜けたその風は、明らかに何かが通り抜けた後に追従するものだった。トラックが間近を走り抜けたときの感覚に似ている。風の塊が身体を叩いたような感覚。
 ただ違うのは、『それ』がもっと小型で、高速であるということだけ。
 突き刺さる後ろからの殺気に、ジェイルは久しぶりに恐怖という感情を思い出した。ぎしぎしと音を立てそうな首の関節、振り向けば――少女がいる。
 震える左手で右腕を掴み、それでも目を見開いて、あの忌まわしい蒼い目を見開いて、ジェイルを睨みつけている。銀色のナイフには、確かに『Karrel=Scrad』と彫られていた。
 悟るには全てが遅かった。こいつらは、継いだのだ。
 あの忌まわしき猟人、鉄と火薬の埋葬人、カレル=スクラッドの強さを。
 ――自分はもっと早く、殺せるうちにこのガキどもを殺しておくべきだったのだ!!
「「定義ディファイン」」
「ぎ、ィぁああああああ!!」
 後ろの闇に跳ぶ。暗がりに逃げ込み、姿を紛れさせるつもりだった。だが、次善の策と取ったそれすら遅い。その速度では、間に合わない。
銃弾、再来バレット・サイクル」「三秒、全身スリーカウント・フルボディ
 子供達は死神のように素早く、父親を髣髴とさせる(それこそジェイルにとっては悪夢だった!)動きを見せる。少年はその場で銃を構え、少女は逃げるジェイルに追い縋った。
 そして彼らは、同時に吼える。
銃撃回廊インフィニティ!!」「限定昇華リミテッド!!」
 銃弾が無数に炸裂し、着弾の衝撃でジェイルは壁に磔にされた。一体何十発を叩き込めば、人ほどの質量を壁にとどめておくかすがいとすることが出来るのか。腕も、脚も、壁から離れようともがいた部分から順番に狙撃され、苦悶の声すら上げることが出来ない。
「……!!」
 銃撃が唐突に止まる。声と言うよりはガラスを引っ掻いたような音と言った方がしっくりとくる、そんな呻きを発しながらがくんと視線を下げたジェイルの前に、またあの忌々しい蒼い瞳の輝きが残光した。もう一人が、距離を詰めてきていた。
 ここまで痛めつけられても、再生は利く。身体を復元しながら、ジェイルはその腕を一薙ぎした。当たれば子供程度、原形を残さぬほどに潰せるような一撃。しかし、腕は――目の前に現れた少女を、『擦り抜けた』。
「ひゃ?」
 次の瞬間に気付く。気配は上。見もせずに気配のある方向に爪を突き出すが、手応えはないに等しい。視界の端に映るのはちぎれとんだ服の切れ端だけ。
 同時に上からの風切り音。どん、と頭頂に走る重い衝撃――ナイフの一撃が、ジェイルの思考を掻き乱す。
「あが、がが、ががががが、ご……ぎ、」
 頭を垂れ、貼り付けにされた体が壁から落ちる瞬間、ジェイルは見た。
 十五メートルの距離を置いて、今一度銃口が上がる。四十五口径、ダブルカーラム。装弾数十三+一発、銃の形をした慟哭。ストレイヤーヴォイト・インフィニティ。
定義ディファイン銃弾、加速バレット・ブースト
 構える少年の顔に、カレル=スクラッドの影が見えた。
昇速円環エタニティ
 銃声。
 頭頂のナイフの柄に銃弾がめり込むと同時に、ジェイル=クリムゾンメモリーの意識は散華した。


「――それで、その場は収まったんだ。だが、払った犠牲は大きすぎた。そのことでオレは今も時々睨まれる。リリーナもな。……オレはそのジェイルって真怨を殺すために戦ってる。贖罪になるなんて思ってない。死んだ連中は戻ってこないからな。謝ることも許されないようなオレたちには、その分多くの真怨を殺すことで償いを続けるしかないのさ。それがあがなえない罪であっても」
 六本目の煙草が根元まで燃え尽き、ジークが吐き捨てるのと一緒に崩れて風に混じる。
 おれは二の句が告げないでいた。聞いても動じない覚悟はあったが、飄々とした態度の裏にそういう経緯を抱えていると改めて知ると、しばし言葉を失ってしまう。
「軽蔑するか、浅慮だったオレをさ」
 おれは黙って横に首を振る。言葉がただ、出てこない。ジークは「ありがとう」といつに泣く素直な声で言うと、ほっそりとした指を煙草から離す。
「そんな顔、してくれるな。昏闇が憎いのは本当だし、これ以上あいつらのせいで人が死ぬのも御免だ。そして自分のミスで、誰かを失うのも。戦うことに迷いはないさ」
 ジークはいつもと同じように笑うとおれの頭にぽん、と手を置いた。子ども扱いされた気がして、右手で跳ね除けてやる。
「別に、なんともねーよ。ジークにもいろいろあったんだなとは思うけどさ、それで見方を変えるつもりもねーし。そりゃ聞いた直後は表情も変わっちまうけどよ」
 ジークはおれが払った手を引き戻し、七本目の煙草を抜いた。
「お前はお前のままでいればいいさ。真っ直ぐで、まだ致命的な失敗だってしてない。この間の戦いぶりを聞く限りでは、まだまだ強くなる余地だってある。下手なことは考えなくていいさ。お前はお前の戦いをしろ。しがらみに縛られながら戦うのは、いい気分じゃない。経験談だけどな」
 そう言うと、ジークは細く紫煙を吐き出して流し目をくれた。
「言われなくたってわかってるさ」
「そういう顔してるぜ」
 悪びれずに、喉を鳴らすようにジークは笑う。吸いかけの煙草を足元に落とし、踏んでから柵の傍に蹴りつけた。ノーマナーな奴だ。
「そこはせめて拾っておけよ」
「どうせ明日も落とすさ」
「そういう問題じゃないだろ」
「いいや、そういう問題だね」
「リリーナに言いつけるぞ」
 ジークは黙ってかがみ込んだ。物分りが大変よろしくて助かる。かがみ込んだ長身の男に付き合って、オレも煙草の吸殻に手を伸ばすことにした。……おれはこいつが嫌いじゃない。この少しひねくれた、ガンブルーの目をした男が。
 こうやって昨日まで見えなかったものが、少しずつ見えてくる。そうして距離が近くなっていく。いつかこいつがもっと深くまで見えるようになったとき、おれは本当の意味で十三番分室の仲間になれるんだろうなと、そう漠然と思った。
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