Nights.

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  End Of Nightmare  

 氷漬けになった竜の前で、ユガラは僅かに息を吐いた。完全な機能停止を確認してから、ようやく戦闘態勢を解く。
 折れた剣――魔剣『凍った楔フロストシュバイン』を地面から引き抜くと、巨大な氷の塊となったドラゴンを見上げた。腰のホルダーに折れた剣をそのまま差し込んだとき、隣に軽い音を立てて着地する白い影。彼女の姉――サルファ=ドゥーンソングである。
「ユガラ、おつかれ。サルファももうくたくただよー」
 いまひとつ緊張感に欠ける口調でのたまうと、サルファは地面にぺたりと座り込んだ。対するユガラは今だ緊張を解かぬまま、諌めるように口を開く。
「まだ終わってない。この異空間が解けていないということは、まだ危険ということ。サルファ、あの赤い子の傍についてあげて」
 言うと、返事も待たずにユガラは踵を返し、アイスブルーのコートを纏った青年の元に走り出す。肩越しにサルファの気の抜けた返事を聞きながら、彼女はすぐに青年――笹原志縞の元にたどり着いた。
 今だ張られたサルファの『壁』越しに彼の状態を検分する。呼吸は苦しげだが、途絶えてはいない。このまま安静にさせていれば、間違いなく黒が治してくれるだろう。一先ずは安心するものの、彼の異常な方向にねじれた右腕や、口元を濡らす喀血の後などが、ユガラの胸を鋭い痛みとなって刺す。もっと早く来る事が出来ていたらと、思わず自分を責めてしまうほどに。
 赤い柱が林立するこの空間――ユイ=アイボリーパペットが構築した『水晶館』はまだ解けない。しかし、微細ではあるが変化が起こりつつあった。巨大な氷像と化したドラゴンが、氷の中で徐々にその形を失い、ぐずぐずと溶けていく。ただわだかまる黒い闇として融解した竜は、物理法則に反して徐々に縮み始めた。氷像の中で黒い闇は収斂し、やがて小さな、一人の少女を形作る。手足がでたらめに曲がり、か細く息をするその姿は、あの氷を崩すだけで殺してしまえそうなほどに脆く見えた。
「あの瀕死の真怨をコアにして動いていたのね。道理で、表層強度は甘いし思考も単調だった」
 確認するように呟くと、横合いで、康哉の頬を叩きながらサルファが振り向く。
「きっと油断してるところを叩かれたんだねー。二人とも、頑張ったんだー」やはり間延びした口調で、しかし一片の情も見せず、「あの子がいると帰れないみたいだね。倒しちゃおう、ユガラ」
「そうね」
 真怨にかける情けなど欠片もない。志縞の傍らで、ユガラは再び氷の塊へと向き直った。確かめるようにフロストシュバインに手を掛け、抜き放った瞬間、流の形をした氷像の上半分が吹き飛んだ。
 サルファがハッとしたような表情で、赤いケープのような外套を羽織った少年――厚木康哉を担ぎ、重さを感じさせない俊敏さでユガラの隣に参じる。ユガラは油断なく、氷像の方に折れた刃を向けなおした、、、、、、。氷を弾けさせたのは、彼女ではない。
「あーあー、こいつぁひでぇ、可愛いユイのおみ足が大変なことになってらぁ」
 緊張感のない声が響き渡り、氷像の中に虚空から現われた男が降り立つ。「ジェイルの旦那が助けを呼ぶなんてのは滅多にあることじゃねぇが、まさかここまでのやり手が揃ってるなんてなぁ」
 軽薄な口調、ほっそりとした背の高い身体ををウェスタンルックで覆った男。拍車つきのブーツで邪魔な氷柱を踏み砕きながら、ユイを見下ろしている。弾き上げたウェスタンハットの下に覗く瞳の色は、鉛色。
「……あなた、何」
 魔剣を向け、ユガラが端的に問う。氷像の中に立つ男は、ユイを抱き上げながら地を蹴り、氷像の外へと逃れ、皮肉っぽく唇をゆがめた。
「俺かい? 俺はユイお嬢様の卑しきファンの一人さ。どうせ殺しに掛かって来るんだ、呼ぶ名前なんて必要ないよな、ナイツの連中には。そうだろ、無慈悲なる猟人?」
「呼べないと困るよー。識別名があった方がわたしたちも楽だしね。それとも番号で呼ばれたい? 真怨さん」
  皮肉っぽい問いかけに答えたのは、「うんしょっ」と掛け声混じりに厚木康哉を地面に下ろしたサルファであった。小首を傾げて無邪気な口調で酷薄な内容を言う。男はユイを抱えながら器用に肩を竦めた。
「やれやれ、ひどい理屈だ。剣を突きつけながら名前を聞くのがそっちの流儀かい」
「真怨相手にはいかなる油断も許されないわ。名乗る気がないならそれもいい、聞く前に轢殺してあげる」
 ユガラが呟きながら剣を掲げ、十メートルばかり離れた男に向かって振り下ろす。刹那の間を置いて巨大な氷柱が男の頭上に構築され、ハンマーのように彼の上に落下した。しかし男は動くこともなく、やれやれ、とばかり首を振るのみ。
「全く、容赦がねぇなあ。……おう、鈍色メタル、頼むわ」
 男の呼び声が響くと同時、流星の様な輝きが走る。人ほどの大きさの煌きは、そのまま氷柱と交錯し、そして一撃の元に高質量の氷塊を粉々に打ち砕いた。辺りに破片が飛び散り、ぱらぱらと雪のごとく降り注ぐ。氷柱を打ち砕いた流星は、そのまま男の横に小さな音を立てて着地した。
 金属光沢を持つ白銀の全身甲冑フルアーマーを纏い、バイザーつきの兜の後ろからプラチナブロンドを流麗に流している。身長はさして高くなく、男と並ぶと、兜の頂点まで入れても彼の肩ほどまでしかない。甲冑を揺らしながら、その真怨は傍らの男のほうを見た。
「……」
「そう睨んでくれるなよ。おまえさんにしてみれば朝飯前だろう」
 ユガラは僅かに目を細める。瞬間的に発生させたとはいえ、重殺氷柱コールドフラクタルで構築される氷塊の強度は並大抵のものではない。その氷柱を瞬間的に破壊するだけの威力を持った真怨がもう一人。真っ向から戦うとなると分が悪い。その上こちらには怪我人が二人。状況は決して芳しくはない――ユガラがそこまで思考したとき、真怨の男は腕の中にユイを抱いたまま、また口を開いた。
「このままここで仇討ちがてらあんたらと決闘をやらかすのも心情的には悪くはないんだが、ユイの第三監獄サードプリズン哭竜ディアブロ』をやすやす殺すような術者どもと何の策もなくやりあうのは、どう考えても下策だぁな」
 道化のように掴みどころのない態度を見せながら、唇に皮肉な笑みを孕ませる男。その隣で不気味に沈黙したままの甲冑姿。ユガラとて経験が薄いわけではないが、その二人が放つ一種独特の威圧感にはやや押されがちにたじろぐ。
 そんな中で、唯一サルファだけがいつものペースを崩さない。口を開いて出てくる言葉も、いつものように弾んでいる。
「正しい判断だと思うよー。ただじゃ済まないのは見えてるもんね。そっちも、こっちも」
「だろう? 俺はクレバーなんだ、解りきった危険は避けるさ。ここから先は色んなものを捨ててやりあう羽目になる。失うものをなくした奴が強いのは、人間も真怨も同じだ」
 にぃ、と歯を見せて笑う真怨に、真似して「にぃ」と呟きながら唇を歪めるサルファ。ユガラは時折、このマイペースさに助けられる。手刀の形にした手をやわらかくサルファの頭にこつんと当てて、ユガラは改めて三人の真怨のほうを見た。
「私はユガラ。彼女はサルファ。二人合わせて『矛盾』と呼ばれているわ。……ドゥーンソングの姉妹よ」
「へえ、あんたらが噂の『壊し屋』と『護り屋』かい……もっと筋骨隆々とした連中を想像してたぜ。噂ってのは尾ひれがつくもんだな、今更だが。それなら尚更、ケンカを売らなくて正解だ」
 少々驚いたような口調で言ってから、また軽薄な調子を取り戻し、男は歌い疲れたロック・シンガーのような声で続ける。
「……名乗られちゃこっちも名乗り返すのが道理だよな。俺は色彩闇洞パレット鉛色リード。『突撃銃弾キャノンボール』ジョウ=リードヴェロシティ。腕の中の眠り姫が象牙色アイボリー、『屠殺劇場キリングステージ』ユイ=アイボリーパペット。こっちの大人しいのが、鈍色メタル。『圧潰螺旋イヴィルスパイラル』、セティ=メタルカラミティ。自己紹介はこんなもんで満足かい、矛盾のお二人?」
「……ええ、十分よ」
「十分ー」
 ほぼ同時にサルファとユガラが答えるのを見て、男――ジョウは楽しげに笑った。
「それじゃ、ここは一つ退いておくぜ。あんたらが戦闘狂でなくてよかったよ、第一分室のアホどもは勝ち目がないのに向かってくるからな。命は限りある資本、お大事に――と」
 男っぽい笑いを見せて、ジョウが一歩引き、顎をしゃくる。それに気付いたか、しぶしぶという風に甲冑姿――セティがガントレットに被われた拳を上に突き上げた。破裂音がして、丸い形に空間が『開く』。そこだけ別の景色をはめ込み合成したように不自然に。
「いい手際だぜ、セティ。それじゃあな、矛盾のお二人。美人さんとはやりあいたくねぇ、もう逢わないことを祈ってるぜ」
「……できれば私も逢いたくないわ。軽薄な男は、嫌い」
「あらら。手厳しいねぇ」
 ユガラに一刀両断されて苦笑交じりになった一言が、男の最後の声だった。最後まで一言も発さなかった甲冑姿が男に続いて消えると、水晶館は少しずつ薄れて消え始め――やがて、元の世界の形を取り戻した。巳河ファンタジーパーク正門前。ユガラ――遊楽には、忘れられない場所。感傷を目を逸らすことで振り切り、ユガラは屈んで、倒れている志縞を起こさないように抱き上げた。立場が逆だったらと夢想するが、悲しいかな、現実になりそうにない。
「行きましょう、サルファ。黒さんが待っているだろうから」
「りょーかーい。アツギ君だっけ、この子。かるーい」
 がくんがくんと据わってない首を揺らしながら、サルファは再び抱き上げた康哉を振りまわしつつゆがみディストースへと走り、吸い込まれるように消える。
 それを確認してから、二秒半の沈黙。誰の目もない静まり返った遊園地の前で、ユガラはそっと、志縞を抱く腕に力を込め、彼が目覚めてしまわないように抱擁した。
「……生きていてくれて、よかった」
 ――その声が届くことの無いものだとわかっていても、髪を撫でる手は止まず、抱きしめる腕は儚くも強い。そっと歩き出し、三歩。青年を抱えたまま、彼女もまた宵闇に溶けるように、歪みの中へ消え失せた。


 目を開ける。消毒薬のにおいと、薄暗い中でもぼんやりとわかる清冽な白。あまりなじみのない独特な空気は、却ってそこが病室であると強く主張していた。
 左右を見回そうとした瞬間、首に繋がった筋肉が悲鳴を上げた。顔が引きつるほどの痛み。少しずつ思い出すと、おれの記憶は、巨大な黒い鞭で吹っ飛ばされたところで止まっている。
 しかし、どういうわけかおれは生きていた。体はあるし痛みもある。意識もあるし考えられる。厚木康哉、ちょっと普通じゃない十六歳。高校二年。
 体に走る痛みのせいで、どうやっても起き上がれない。難儀しながら右を向いていた首だけを反対側に巡らせると、巡らせた側にあった顔と視線がかち合った。
 オールバックが崩れて、首から下が包帯だらけになった笹原志縞である。いつからその体勢なのか、こちらを仏頂面で見つめていた。おれが起きても別段動揺した様子はない。
「起きたか」
 少しだけ掠れた、ほんの少し年上の男の声。
「ああ。最悪な目覚めだよ」
 感想をそのまま返してやると、笹原は喉を鳴らすようにして笑い、ギプスでがちがちになった右腕を示して見せた。
「奇遇だな、オレもだ」
 弱さを隠さない口調に、ほんの少しだけ共感を覚える。言葉にするのが難しい感覚。人が打ち解けあっていくというのは、きっとこんな小さな共感の繰り返しなんだろう。
「ざまぁねえな、お互いよ」
「全くだ」
 笹原が肩をすくめて、傷に触ったのか顔をしかめた。おれはそれを見て笑おうとして、脇腹の引きつり傷を開かせそうになる。笑いと苦悶の相半ばみたいな顔になって、おれ達は視線を交し合った。
「笹原ァ」
「なんだ」
「……強くなりてェなあ」
「ああ」
「……強くなれんのかなあ」
「オレは、なる」
 笹原は迷うことなく頷いた。こいつのそういう部分が、本当にうらやましい。きっとこんな岩のような意思の硬さを、ずっと貫いてきたんだろう。
 今のおれには、そこまで自分を信じることは出来そうにない。でも、先に踏み出す一歩を譲る気もない。だから、おれは空っぽな意地を張って、笹原の答えに返した。
「なら、おれはお前より早く強くなる。もっと高く、もっと速く、もっと熱く。どんな闇も祓えるくらいに」
 おれの途方もない戯言を聞いて、笹原はしばらく瞑目し――息を漏らすように笑った。
「……十年早い」
 くしゃりと笑った銀髪の男が、少しだけ近くに見えた。

 


ACT/3 【POINT-ZERO】
FIN.

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