Nights.

| | index

  Nightmare  

 最悪な夜というのは、どういう夜を言うのだろうか。
 走り続け、燃える脚で敵を薙ぎ払いながら考える。
 救援が来る気配はない。
 押し殺されそうな圧迫感が周りを抱いている。
 白い少女は、ここが水晶館であると言った。赤い柱に足をつけ、跳ぶ。襲いかかってきた昏闇の攻撃をかわしながら、少し離れた昏闇へ思い切り足を振るう。炎を乗せた衝撃波ソニック・ブームが、また一体の昏闇にめり込み、吹き飛ばした。だが一撃とは行かず、数度バウンドした後に昏闇は着地し、また攻撃の機会を窺っている。
 厚木康哉は目の前の敵から視線を離せぬままに、炎を揺らめかせながら着地した。炎が作る陽炎の中で揺らめくのは、真っ白な少女だった。そしてこちらを追い詰めるのは、少女を取り囲むように立つ十数体の昏闇。
 昏闇の猛攻が一瞬だけ止む。すかさず、追撃を避けるようにバックステップで距離を取った。スニーカーの薄っぺらな靴底で制動をかけながら、呟く。
「どうなってやがる。殺しても殺しても出てきやがって」
「オレに聞いたのか? なら答えは一つだ、知るか」
 康哉の呟きに、横合いから応じる冷たい声があった。視界の隅で、空色の外套がゆらりと揺れる。倒れる手前、と言うほどの手傷を負いながら、ゆっくりと立ち上がったのは、笹原志縞であった。
「ボコボコにされて足にキてんのかよ、笹原。鈍足は辛いねェ」
 からかうような口調での言葉に対する返答は、鼻でせせら笑うような音だった。
「うるさい。皮肉を言うなら、その外套をどうにかしてから言うんだな」
 言われて見下ろせば、真紅のコートはところどころが引き裂かれて、なるほどボロ切れ手前である。けッ、と吐き捨てるように呟いたが、昏闇が音もなくまた進み出たのを見れば、言い争ってもいられなくなった。康哉はぼやくように呟く。
「……どうすんだよ、これ」
「どうするもこうするも、倒すしかないだろう。もっとも――相手は真怨シンエン。出来る可能性は、万に一つと言うところか」
 志縞が呟いた瞬間、ニ体の昏闇がそのあぎとを大きく開き飛び掛ってきた。反射的に康哉が飛び出すと、僅か遅れて志縞が追従した。
 康哉は飛び上がり、踵から炎を吹いて身をひねる。軸足を振り、その反動と腰の溜めを使って蹴り足を振りぬく。燃える脚が直撃した瞬間に炎を開放すると、昏闇の顎の上半分が消し飛び、悪しき夢はその場から潰え去った。着地すれば、志縞による大雑把過ぎる拳での殴打の前に、もう一体が消滅するところだった。
 一瞬で二体。
 ――しかし、相手はそれよりも早い。
 ニ体が飛び掛ったその後ろから、さらに襲い掛かる四体、その後ろにたむろする八体。間断なく襲い掛かる闇の向こう側で、白の少女が真っ赤な唇をゆがめて笑う。
 舌打ちをした。
 低級な昏闇とはいえ、波状攻撃を行わせる指揮者と物量があれば、十分な脅威になる。康哉がそれを悟ったのは、通産三十二体目の昏闇を踵落としで粉砕したときだった。攻撃をかわし、バク転しながら眼前の昏闇の顎を蹴り上げる。後方に着地、瞬間に小さく飛んで半回転分のひねりを込め、回し蹴りを繰り出す。これもヒット、霧消する昏闇を前にしながらも、康哉は志縞と距離を離さぬように地面を蹴り、彼に背中を預けた。
「……一万分の一って何パーセントだよ」
「〇.〇一パーセントだ。そしてそれが出来なければ――」
 志縞はまた一発拳を繰り出し、破裂音を立てて一体の昏闇を吹き飛ばした後、残心を取りながら深々と息を吐いた。
「オレたちは、ここで死ぬ」


 銃弾の嵐が吹き荒れた。
 二挺の拳銃が間断なく銃弾を撒き散らし、熱く焼けた鉛弾が男へと降り注ぐ。
 男は狂喜もあらわに笑い、その銃弾を潜り抜ける。掠れたハスキーボイスが叫んだ。
「どうした、どうしたどうした、闇殺者アンサツシャ!! この姿を前にしては手も足も出ないか! 滑稽だな、人間というものは!」
「いちいち五月蝿いんだよ、お前は」
 闇殺者と呼ばれた男――ジーク=スクラッドは、余裕のない声で呟いた。高速で壁を走り、蹴り、夜に舞う。
 それを追うのは、彼と同じ姿をした男だった。
 黒いコート、端正な面差し、両手の二挺拳銃にハスキーボイス。それは、ジークを模倣して作られたような影――
 ――否。
 ジークと相対しているものは、ややジークに年齢を重ねたような趣を持っていた。それに加え、禍々しいまでに赤い瞳をしている。重いガンブルーとは、対極に位置する色であった。
「口を動かす前に銃口を動かせ。――もうその格好でわめくな、ゲス野郎」
 空中から三発。同じように立体的に街を走る男――『ジーク』へと降り注いだ〇.四五インチ口径の銃弾は、しかしてそのコートの影すら捕らえることはない。
 ジークが放った銃弾よりも早く、彼は地面を走り壁を蹴り、月をバックにして跳んだのである。
 その腕がまるで楽曲を指揮するように打ち振られる。
定義ディファイン銃弾、再奏リピート・バレット
 自分と同じ声が鼓膜を突いた瞬間、本能的な速さでジークもまた叫んだ。
定義ディファイン銃弾、再来バレット・サイクル!!」
『ジーク』の銃が輝きを帯び、ジークの銃がぶれたように残像を引く。
 詠唱は僅かに違う。しかし、生み出される結果は同じだった。銃の中に装填されるのは無尽の弾丸。敵を屠るために生み出される鉛弾の葬列。
銃撃連環ループバスター」「銃撃回廊インフィニティ!!」
 月を背に無数の銃弾が落ちてくる。
 その一つ一つに対応するコースを瞬時に割り出し、優先度の高いものから撃墜する。空中で美しい火花が咲き誇った。.四五口径のフルメタル・ジャケット弾がぶつかり合い、まるで一つの楽章のように響く。
 二十八発目の予想コースへと銃弾を送り込んで反撃に転じようとした瞬間、ジークの目に飛び込んできたのはスパイクで飾られた靴底だった。咄嗟に腕を跳ね上げる。瞬間、腕が痺れるのと同時に下へと急加速。逆向きのGに酔う暇などありはしない。苦痛に顔をゆがめる。
「ぐ……っァ!!」
 地上八メートルの中空から、ジークの身体は打ち返された野球ボールのように飛び、斜めに射入するように地面へと叩きつけられた。
 舞う砂塵、人っ子一人いない影絵の町に、二度三度とジークの身体がバウンドして壁に叩き付けられる音だけが響く。
 コンクリート壁に背を預け、ジークは激しく咳き込んだ。
 血が飛沫のように散った。肉体が、、、傷ついている、、、、、、。喉と咥内に溜まった血を吐き棄てて、力を込めて立ち上がる。
 ふらりと態勢を立て直すジークの前に、音もなく降り立つ影は、相変わらずへらへらと笑っていた。
「脆いなァ、人間。そして弱い。それとも、この身体を使われて動揺しているのか?」
 にやついた視線に、射殺すような眼差しを返す。
「要らん推測だ。いつかの金切り声の方が随分マシだぜ、ジェイル=クリムゾンメモリー」
「そうだ、そうでなくては。もっと噛み付け。もっと楽しませろ。十年越しの復讐のチャンスだぞ?」
「黙れってんだよ。……"汚染回想ダスクイメージ"。殺す。てめえだけは、このオレが骨の髄まで殺し尽くす」
 視線を上げる。詠唱を走らせる。アンリミテッド・パターン・ゼロツー。"昇速円環エタニティ"、発現。
 パターン・ゼロワン、"銃撃回廊"、待機。
 パターン・ゼロスリー……解禁開始。
 高まる力に喜悦の笑みを浮かべる目の前の男めがけて、ジークは吼えた。
「三度目はねえぞ。その顔で、それ以上喋るなァッ――!!!」


「あぐっ……ぅ!」
 光莉の細い身体が地面に叩きつけられた。
 骨に支障はない。内臓が潰れてもいない。
 弱弱しく呻きながらも、可及的早くに立ち上がる。白い外套はところどころが血と砂埃にまみれて、まるで今の彼女は傷ついた灰かぶり姫シンデレラのようだった。
 時刻は深夜、二時を回ったところ。
 零時を過ぎても解けない魔法は、しかして光莉にとって輝かしい夢ではなかった。
「あらら、思ったより頑丈なんだ? あたしの"槍"が刺さんなかったのはちょっと久しぶりかも」
 虫の足を千切りとって喜ぶような嗜虐的な微笑を浮かべ、エナメルレザーの女が笑う。光沢のある生地でぴっちりと全身を包み、胸元だけを大きく開けた、蒼く長い髪の女。
「これでも、壊れにくく出来ていますから」
 光莉は軽い口調で返すが、声の震えは否めない。
 戦局は圧倒的だった。四方八方から繰り出される槍の群れは、削れて尖りに尖った神経をさらに磨り減らしてゆく。"貫かれることはない"と信じ込むことにも限界があった。増える生傷と減ることのないダメージは、人間の精神を追い詰めるには十分すぎる。
 肩を竦めたエナメルレザーの女が、手を前に翳しながら陽気に問う。
「名前、聞いといてあげるわよー」
 手の先に球体が生まれる。蒼い――彼女の瞳のネイビーと同じ。野球ボール台の大きさの球を弄びながら、
「あんたの身体、なかなか使いやすそう。可愛いしね、磨けば光るわよ?」
「――冗談。私はここで死ぬわけにはいかない。ましてやあなたの身体になるなんて、死んでもごめんです。――私の名前は芝崎光莉。システム・グランドフォールを継承した、二人目の"芝崎"」
 顔の前に拳銃を垂直に構え、天を衝く銃口に祈るように囁く。
「Mainsystem engaging Combat-mode. System all green, energy charge start.」
 黒い拳銃が白く染まり、光莉の身体からエネルギーを吸い上げ、"成長"し始める。


「OPEN. System-GrandFALL..... 」
 白い銃身が伸び、グリップが手を巻き込む。拳銃の側面から生まれた無数の白い帯が、ぎゅるぎゅると白い外套の上へと巻きついた。そしてそのまま、溶けるように一体化する。
 へえ、と蒼い女は感嘆の声を漏らした。
「システム・グランドフォール? 使い手は随分前に死んだって聞いたけど、まさか二人目とはね。……ま、いいけど。見たところそんなに霊結度エーテルゲインが高いって訳でもなさそうだし」
 女が蒼い球体を放り上げると、空中でなにかにつかまったように、球体は静止した。その表面がみし、と軋み、蒼い"槍"が生まれる。
「何より、簡単に捕まえられるエモノに興味はないしね」
 言葉と同時に女が無造作に踏み出す。光莉は腰を落とし、グランドフォールが継続的に吸い上げるエネルギー量に歯を軋ませて耐えた。
 長くは、保たない。
 光莉の苦しみを知ってか知らずか、女は歌うように言った。
「"咀嚼空棺バディイーター"、カミラ=ネイビーコフィンよ。遊んであげるわ、精々いい声で鳴くのね」


 最悪な夜というのは、こういう夜のことを言うのだろう。
 六牟黒が、暗い闇の底で重苦しい溜息をついた。
 ――彼はただ、電話のベルを待っている。
| | index
Copyright (c) 2007 TAKA All rights reserved.