Nights.

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  PALLET  

 そこは、水晶館と呼ばれている。

 果てと言うものが感じられない空間だった。無数に林立する柱は、整然と居並んで天井と地面を繋いでいる。色は鳥居のそれのようにことごとく朱色。光源がないのにこの空間が明るいのは、その柱から光が放たれているためなのか。
 赤々とした柱が等間隔に並んだ空間の中で、ひとつ開けた場所がある。そこは、喩えるならば占い師が鎮座する部屋のような、奇妙な静謐に包まれていた。
 何者も動く事を許されないような水晶館の静寂の中にあって、なおその場所は透明なのに禍々しい、硬い空気に覆われ、こごっている。
 血塗られたような赤色の円卓。その上にずらりと幾十、幾百もの水晶。形はそれぞれさまざま、落ちる雫のように滑らかな粒の形をしたもの、鋭角的にカットされて輝きを帯びるもの、サイズの大小と光彩もまた多彩で、同じものは一つとして存在しない。円卓の中心には蝋燭が六本、六芒星を思わせる配置で立てられている。
 その大きな卓だけでも十分にその場の異常性が知れるというのに、円卓の一角に着いた少女のお陰で、魔的な空気はさらに濃さを増していた。
 じ、ぃい。風もないのに、蝋燭の火が音を立てて揺れる。彼女はそれを聞き、おもむろに顔を上げる。
 無数の水晶が、彼女の顔を映し込んでいた。
 可憐といって差し支えのない、年端の行かぬ子供である。だというのに唇は紅を差すまでもなく、真紅の色合いを保っていた。炎に照らされていや増すかのような白さの肌は汚れを知らず、揺らめく炎を映す瞳は、銀という色彩を持ちながらもビスクドールのそれのように澄み渡り、無機質なまでの造形美を持っている。絹糸をそのまま使ったような乳白色の髪は、彼女が首を僅か巡らすだけで音も立てずさらりと流れた。
 唇だけがアンバランスなほどに紅く、目立つ。白い少女であった。
 彼女は炎が揺れた事を皮切りに、座っていた椅子を立ち、円卓の反対側、無数にあるうちの一つの水晶に目をやる。
 それからほとんど時間をおかず、ぱきん、と音が立って、彼女が注視した水晶が砕けた。いかなる素材で出来ているのか、破片は砂浜の砂のように細やかに流れ、空気に溶けるように、さらさらと浮かんで大気に還る。
 少女はそれを見て、小さく息を吐く。鬱々とした溜息だった。
「やっほ、象牙色アイボリー。どしたのさ、浮かない顔して?」
 不意に明るい声が響く。
 少女が円卓から顔を上げると、いつの間にか卓を挟んで向こう側に、女が立っていた。
 床まで届かんばかりの滑らかなの髪は、目も覚めるほどつややかな輝きを帯びた藍色。瞳は揃えたような同色で、豊満な体のラインがはっきりと浮き出る、エナメルレザーの着衣を纏っていた。露出した肌は、白いというよりは青ざめている。
蒼色ネイビー。……いえ、少し。おもちゃが壊れたの」
 アイボリーと呼ばれた少女はよどみなく言葉を返すと、無感動な視線をまた円卓に落とす。隙間なく水晶の並べられた円卓に、くっきりとひとつ分の隙間が開いているのは、探すまでもなくよく目に飛び込んでくる。
 エナメルレザーの女――ネイビーは、長い髪を重たげに後ろに流しながら、ふうん、と息を漏らした。
「そりゃ災難だったわね。なに、また猟人どもの仕業? あんたが管理してる昏闇を壊すなんて、命知らずがいたもんね」
 並べられた水晶の一つ一つに細い指を這わせながら、女はゆっくりと円卓を迂回する。
 掛けられた言葉にアイボリーは頷き、もう一度だけ空いた空白に目を向けると、ネイビーへと視線を移した。
「……もう少しで昇華するところだったのに。惜しいことをしたわ」
「あちゃ、もったいないわね。人一倍飼い犬を大切にするあんただもん、不機嫌そうなのもわかるわ……で、やられた場所とか判ってるわけ?」
 流し目をくれるネイビーの声には、例えようもない愉悦のようなものが見え隠れする。それは隠れた遊び場所を見つけた子供にも似ていた。
「ええ。把握しているわ。……思い知らせなくてはならないもの」
 対照的に、よどみなく答えるアイボリーの声には暗い執念の炎のようなものがちらついていた。表立ちはしない密やかな怒りが彼女の内側で燃えているかのよう。
「そーね、人間ごときがあたしたちのお遊びに噛み付いてくれたお礼は、きっちりとしないと。……そろそろ新しい体も欲しかったしね、壊れかけジャンクなのよ、この体。ぼろっちいの、たった三百年使っただけなのに」
 青白い自分の肌に指を滑らせて、女はそのまま腕を組む。アイボリーは無表情に、ぽつぽつと告げた。
「ついて来るのなら、あまり派手なことは止して。過信して消えた同胞の数、あなたも知らないわけではないでしょう」
 釘を刺されてネイビーは肩を竦める。口元には挑発的な笑いが乗っていた。
「だーいじょうぶよ、使いやすそうなのを少し漁るだけだから。行くときは呼んでよね?」
 そう、軽い口調での言葉が響いたとき――場の空気が、急に粘着質によどんだ。
 アイボリーには一瞬で判る。自分の空間であるこの『水晶館』に、あからさまな異物が割り込んできた感触があった。ゆっくりと椅子を立ち、周囲に視線を巡らせる。彼女がその存在を探し当てる、その前に――ネイビーが、汚物を見るような目で柱の一本を凝視した。
「……なァによ。喧嘩売りにきたの、緋色クリムゾン。今なら格別安く買い叩いてあげるけど」
 声が響いて三秒ほどの沈黙が流れる。
 唐突に、ずるり……と柱が――否、柱の表面が動いた。柱と同色の、まるで溶けた飴細工のようにねっとりとした物体が、ずるりずるりと柱の表面から滑り落ち、歪みねじくれてその形を変じる。気がつけば、そこには緋色の人型があった。顔はのっぺらぼう、凹凸がない。ありとあらゆる起伏をそぎ落としてデフォルメしたような、ただ人の形を模しただけの何か。
 それ・・は、思い出したかのように、ぐばり・・・、と顎を開き、真っ赤に裂けた口を露にした。
「ケンカなどとはシンガイだな、ネイビー。ワタシはただ、キミらにキョウリョクしてあげようとオモって、ハせサンじただけのコトだよ」
 緋色――クリムゾン。
 アイボリーは招かれざる客へと、冷たい視線を浴びせる。
「ここには来ないでと伝えておいたはずよ、クリムゾン。それとも、いよいよ記憶さえ劣化し始めたのかしら」
「そんなコトをイわれたかな? ああ、キミがそうイったトキ、ミミをツクりワスれていたのかもシれないな」
 金切り声でケタケタと笑いながら、不定形の緋色は大仰に、道化のようなポーズを取った。
 閉口せざるを得ない。アイボリーは、この男――あるいは女が苦手だった。生まれたころからそばにいるが、主義主張の全てがかみ合わない。それでいてこちらをからかうことを好む、という性質も重なって、自然と敬遠する形になっている。一度は閉じた口をもう一度開き、アイボリーが退去を命じようとしたそのとき、彼女の右方で殺気が膨れ上がった。
 瞬間、空気が弾ける。反射的にアイボリーが身を引いた瞬間には、計上するのが億劫になるほどの数の、藍色の長い槍のようなものが、クリムゾンの体を蜂の巣にしていた。がぶ、と奇妙な音声がクリムゾンの口からほとばしった瞬間、突き立った『槍』が無数に枝分かれするように分化し、内側からクリムゾンの体を食い破る。結果、その緋色の人型は赤黒い汚泥として四散した。びちゃりびちゃりと、肉片の落ちる音が響き渡る。
「……やりすぎよ、ネイビー」
 少女は、未だ腕を突き出したままの体勢でいる女を戒めるように呟いた。対する女はといえば、ふん、と鼻を鳴らして腕を下ろすのみ。彼女が腕を引いた刹那、槍は空中に溶けるように消えた。
「どーせ死なないんだから、このくらいで丁度いいのよ」
 吐き捨てるようにネイビーが呟いた矢先、虚空から声が響く。
"ズイブンなイいグサじゃないか……マッタく、カタチをモドすのにはそれなりにタイリョクをツカうのだよ?"
 迷惑そうな色を帯びたクリムゾンの声音を嘲笑するようにネイビーが口を開く。
「あんたの嫌がることならね、なーんだってやったげるわ。消えなさいよ、クリムゾン。あたしが失せろって言ってんのよ。聞こえない?」
 二人の会話を背景に、水晶館の床に広がった肉片がうごめき、一つ一つがびちびちと音を立てて自然と結合していく。信じがたい光景を前に、しかし少女と女はいささかも動じなかった。一種見慣れた光景ですらあった。
 そのまま十秒とかからず、緋色の道化はその形を取り戻す。大仰に肩を竦めると、彼はまた金切り声で口を開いた。
「テキビしいイいブりだ……ワタシはチュウコクをしにキたのだよ、フタリとも」
「……忠告?」
 アイボリーが僅かに首を傾げて問い返す。その傍らにネイビーが音もなく寄った。まるでクリムゾンから、少女を隔てようとするかのように。
「あのマチには、シニガミがいるのだよ」二人の所作を意に介した様子もなく、クリムゾンは続ける。「ヤツをアイテにすれば、キミらとてクセンもしよう」
「死神? あたしたちが苦戦するって? ……眉唾もんね、それ。たかだか猟人、纏めて刺して破裂させて終わらせてあげるわ」
 鼻で笑い飛ばすネイビーの影で、アイボリーは僅かに眉を顰めた。それを見て取ったのか、クリムゾンはネイビーへの相槌もよそに、喜色も露に笑いを上げた。
「キになるだろう、アイボリー? ……そのシニガミとはショウショウ、インネンがあるのでね。ネームレスといえば、ネイビー、キミにはキきオボえがあるのではないかな?」
 ネームレス。少女には聞き覚えの無い名前だった。
「……ハァ? ここでなんで潰れたグループの名前が出てくるわけよ? あたしとあんたと……鈍色メタルくらいでしょ、直接関わったことあんの」
 不快感もあらわなネイビーの言葉に、クリムゾンは唇をさらにぐいと吊り上げ、笑った。
「あのマチでウゴいているのは、そのシボりカスなのだよ」
「搾りかすゥ?」今にももう一度『槍』を繰り出しそうな殺気を放ちながら、ネイビーが前髪をうざったげに弾く。「あんたの言うその搾りかす程度に、あたしたちが遅れを取るとでも思ってるわけ?」
「おっと、これはシツゲンだったかな。ワスれガタミ……とでもイいなおすべきか。コトバというのは、ジツにムズカしい」
 赤き影はそのまま、ぐりんと首を巡らせ、恐らくは顔の正面を――アイボリーへと向けた。
「ワタシにとってジツに――そう、ジツにインネンブカいアイテなのだよ。オオくはカタるまい。ナニ、キミたちのジャマをするつもりなど、モトよりない。ワタシのチカラだけはシンライにタる……そうイったのはアイボリー、キミだったな?」
 問いかけに二秒の逡巡。
 頭の中に言葉を見つけ、少女はこくりと頷いた。
「ヨロしい。……ユくマエにツタえてくれるだけでいいのだよ、ナニもトモにユかせろというワケではないのだから。ワタシはキミたちからはハナれて、シニガミをオさえるのみ。そのスキに、ナンなりとナすべきことをナせばよい。イいたいことは、それだけだよ」
 言い終えるなり、ぐずりとクリムゾンの爪先が、徐々に溶けるように形を失っていく。
「覗き見の次は言い逃げってわけ? その因縁の相手とか言うの、先に殺しちゃうわよ、この性悪」とネイビー。
 呼応して響くのは、最早形を失いつつある歪んだ口から発せられた音声。
「デキるモノならな。キミテイドでは、ヤツをコロせまいよ、ネイビー。ナゼなら――」
 音声が最後まで紡がれるのを待たず、ぐずぐずと溶けかけた肉体を、二度目の槍衾やりぶすまが貫く。放った射手については、言うまでもない。赤黒い汚泥が飛び散り、べちゃりと地面といわず柱といわず染みを作って――染み込むようにして、消えた。
"それでは、ショクン、ゴキゲンよう……"
 空間から響く金切り声は、笑い混じりで甲高い。嘲笑は徐々に遠ざかって消えて行き――やがてその残滓さえ消え去る頃に、ようやく空間を覆っていた違和感が消えた。肩で息をしながらヒステリックに頭をかきむしるネイビーを横目に、アイボリーは呆れたようなため息をつく。
「……落ち着いて、ネイビー。そのまま周りに当り散らされたら、今度はあなたを追い出さないといけなくなるわ」
「判ってるわよそんなことは!!」怒り心頭といった様子で、彼女はパンプスのかかとを地面に音高く打ちつけた。「相手にするだけ損だっていうのは、あたしにだって判ってんのよ。それでも腹が立つものは立つでしょ?! ……次にあったら再生したその欠片が消滅するまでバラバラにしてやる……!!」
「……今日は厄日かしら」
 今もって地団太を踏んでいる、暫く落ち着きそうにない藍色の女を放っておいて、少女はかたんと円卓の椅子に座り込んだ。自らの顔を映しこむ水晶のひとつに触れながら、溜息をつく。
 ――落ち着いたら、聞いてみようかしら。
 胸の奥に、死神という単語と、無銘ネームレスという名前が、漠然と引っかかっていた。


ACT/2 【FRAGMENT at NIGHT】
FIN.
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