-Ex-

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  FireBall  

 張り詰めたような睨み合いは数秒で終わった。
 背後でエンジン音、立て続けにホイルスピンのスキール音が響く。ゴムの焦げ臭い匂いが漂う中、ネルが走りだすのを感じた。ドアの閉まる音と共に、すぐさま車が発進する。それとほぼ同時に、相手方の黒服たちとフェンリルが車に飛び乗り、追走をかけ始めた。
 反射的に発車する相手方の車に銃を向けたが、発砲する前に自らに向けられた殺気に気づく。視線を戻した瞬間には、鎧を身に纏った長髪の護衛が目の前にいた。ざっと十メートルばかりの距離を、瞬きひとつの合間に詰めてくる。
「ッ……!」
 ナックルガードをつけた拳が唸る。初動が見えないほどのストレートパンチを仰け反るようにかわし、後ろへ跳んだ。後方に吹っ飛ぶような跳躍の態勢から両手の拳銃を三連射する。
 しかし彼――或いは彼女は、あろうことか三発の銃弾を見切ったかのごとく、連続で左右の拳を振るった。空気を引き裂く拳の先で、火花と共に銃弾が散華する。
 ザイルは目を見開いた。発砲の反動を殺さないまま一度宙返りをして着地、右へ向かうフェイントを織り交ぜて左へ跳ぶ。
 しかし、フェイントは無意味だった。敵はザイルに余裕を持って追従しつつ、拳を構える。腰のひねりと重心移動だけを使って威力を出す、洗練された打撃スタイルだ。互いが描く直線軌道が交錯する前にザイルは急激にブレーキを掛け、ピンボールのように鋭角的に後退した。
 試すように、相手の胸部と胴部を狙って五連射を決める。マシンガン並みの連射速度で放たれた銃弾は、しかして相手を止めるには至らない。人の頭蓋をいともたやすく突き抜け、脳漿を霞と散らすほどの威力がこもった銃弾を、敵はやはりその両の腕だけで止めてみせる。しなるように弾き出される砲弾のような拳が、銃弾とぶつかり合って火花を散らした。
 やや距離を置いての、奇妙な沈黙が流れる。
「……驚いたよ。こんな動きをしやがるヤツがその辺にいるとはな」
 ザイルがぼやくように呟くと、甲冑姿は唇だけが露なヘルメットの下で笑った。声は少年――否、若干ハスキーな少女のものだ。
「アタシもちょっと驚いた。ここで殺すのはちょっと惜しいかもね」
「言ってろ。……女か、おまえ」
 素顔をさらさないまま、甲冑姿は肩を竦める。唇が皮肉っぽい響きを伴って動くのだけが見えた。
「男女差別って古いわよ? アンタんとこのバケモノも女だって聞いたけどね」
「差別じゃねえ、区別だ。……よく知ってるじゃねえか。俺たちのファンか?」
「そういうことにしとこうかな。……じゃあ、そろそろ M C おしゃべりは終わりにして、二曲目をお願いするわ」
 露な口元に笑みを浮かべると、女は再びザイルへと突進してきた。
 ザイルは銃口を跳ね上げ、女の正中線を狙って弾丸を集中させた。しかし、甘い。拳が舞い、空中で火花が散る。銃声からタイムラグなしで到達するはずの銃弾が、いずれも全て叩き落された。
 続けて銃弾を放つが、そのいずれもが拳に弾かれ、或いは避けられ、虚空へ消えていく。エッジ≠フ銃弾が切れ、スライドが後退して止まった。その瞬間、女は獣のように襲いかかってくる。地面を這うような超低空から、伸び上がるようなアッパーカット。
 顎を逸らして、寸前でかわす。生じた風がザイルの顔を殴りつけた。同時に弾の切れたエッジ≠敵に投げつけ、コートの内側に手を伸ばす。
 その瞬間、圧縮された時の流れの中で、ザイルは驚愕に目を瞠る。
 女のアッパーカットがそのまま打ち下ろし気味の拳に変化した。進路上には投げつけた拳銃がある。拳は、それを素通り、、、した。
 本能的に危険を感じ取ったザイルは、銃を抜くより早く後ろへ跳んだ。拳をギリギリで避ける。空中で二挺のショーティ・ショットガンを抜いたとき、聞こえてきたのは雷鳴じみた着弾音、、、だった。
 距離五メートル、一瞬の膠着。
 粉々になったエッジ≠ニ、陥没した地面を前に、甲冑姿の口元が笑う。
「……点火イグニッション!」
 女が呟いた。ザイルはショットガンのセフティを外す。
 長い髪を振り乱し、三度女は特攻してくる。その速さたるや、肉食獣を易々と超越している。ザイルは驚愕冷めやらぬままに対応を強いられた。
 ――今のはなんだ。
 単純な打撃に見えた。しかし拳銃はバラバラになり、余波で地面が吹っ飛んだ。一・二キロの鉄の塊を、鉄粉混じりのスクラップに変える破壊力はいかほどのものか。少なくとも、当たれば無事では済むまい。
 女が右のストレートを繰り出す。ザイルはショットガンのトリガーを引いた。飛び出す九発の粒弾ダブルオー・バック・ショットを、しかし女はナックルガードを叩きつけて弾いた。ザイルは再び瞠目する。
 拡散する前の散弾を、拳ひとつで叩き落とす。言葉にすればそれだけだが、目の当たりにすれば悪夢に他ならない。
 二の矢を撃つ前に、両手に衝撃が来た。左右のショットガンに瞬く間に打撃が叩きこまれ、銃身が折れ曲がる。
 手放すより先に、女の足が上がった。
「そのリズム、大味ね」
 赤い舌で唇を舐め、女は足刀を繰り出す。
 背骨が砕けるような衝撃を受け、ザイルは後方へ吹き飛んだ。


 隣を車が走り抜け、横で銃声が鳴る。しかし喧騒を一顧だにせず、リューグ=ムーンフリークは敵と睨み合っていた。
 新型の刀を右手に、合金に縁取られたカーボンファイバー製の鞘を左手に、いつもの構えを取る。刀と鞘の二刀流は、長い時間をかけて体得した彼の戦闘スタイルの一つだった。
「あなたの相棒は派手好きのようだ、銃相手に正面からとは」
「……」
「僕の相棒は強いですよ。悪魔でも連れてこなければ勝てないほどに」
「……」
「……ミスキャストでしたかね。相棒をあなたの方に宛がえば、僕はあの黒髪の方とお喋り交じりで楽しめたかもしれない」
 黙して語らぬ甲冑の傭兵に、嘆かわしいとばかり肩を竦める。道化じみたリューグの所作に、甲冑姿の口元が動いた。
「……会話など不要」
 渋く低く、赤錆びたような声だった。古戦場に突き刺さる、使い古した刀を思わせる。
「貴様も一人の修羅ならば、口ではなく刃で語れ。さもなくば素首そっくび叩き落として、その舌を引き抜いてやる」
 貫くような声に目を丸くして――それから、リューグは、微笑んだ。相手はこちらを戦に生きるものと認めた。ならばこちらもそう認識しなくてはならない。
 相手のただならぬ覇気に呑まれるでもなく、刀を握りなおし、呼吸を整える。腕を交差して構え、
「上等。ならばその剣の声、聞かせていただきましょう」
 地を蹴った。敵は動かない。瞬時に距離が詰まる。リューグが刀を振り被る。
 しかし動いたのは男が先だった。たった一歩だけ踏み込み、峻烈な横一閃を繰り出してくる。
 息を呑む間もなく回避を強いられた。首を刎ねるような一撃を潜り抜けると同時に、上から唐竹割りの一閃が来た。左手に持った鞘を翳し、刃筋を立たせず滑らせ、受け流す。
 身体を捌いて右に回りこむ。相手の左腕が無造作に薙ぎ払いの動作を取った。胴薙ぎが追いかけてくるのを今度は刀で受け止める。澄んだ音が鳴り、火花が散る。凄まじく重い。間髪入れず、コマのように回って右の薙ぎ払いの追撃が来る。体軸を据えての連続攻撃だ。リューグはそれをもなんとか一刀で凌ぎ、受けた衝撃を活かして後ろへ跳んだ。
 受けた際の刀のたわんだ感触が、手に残っている。
 数合の打ち合い、僅か一呼吸の間である。若干の距離を置き、相手の間合いを計る。両者ともに、得物の長さはおおよそ九〇センチメートルほどだ。
 条件は同じ。となれば、物を言うのは瞬発力である。
 無言のまま、飛び掛るタイミングを伺っていると、男が露な唇を歪めた。浮かぶのは、紛れもない歓喜の色である。
 リューグは、口元が緩むのを抑える事ができなかった。この凍京には、まだまだ自分の同類がいるらしい。
「無粋を承知で問いましょう。何を笑っているのです?」
 問いかける声に、男は泥を煮詰めるような低い笑いを漏らした。
「貴様の刀の声が、心地よい。おれを殺す方法を探している」
 二本の刀をクロスして構え、男は軽く両足を開いた。大地に立つ樹のようにどっしりと、安定した構えだ。確かに、彼は機動力に秀でているわけではない。しかし、寄るもの全てを切り刻む威力と、殺傷圏内に入ったものへの反応性は群を抜く。
 紛れもない強敵である。しかし、リューグの表情に陰りはない。好敵手を見る目で笑うのみである。
「殺す方法は、見つかったか?」
「……これまで殺せなかったのは二人だけです。あなたが三人目にならないよう尽力しましょう」
 二匹の修羅が唇に笑みを貼り付け、向かい合う。
 先に動いたのは、やはりリューグだった。身を屈めて突撃し、鞘を順手に構え直して突きを打つ。
 男は片方の刀を突き出し、その切っ先で鞘を払いのけた。流れるように、首狙いの一撃が来る。跳ね上げた刀で受けると、間髪入れずに袈裟切り上げが迫る。鞘で受けとめた。凄絶な笑みは、両者ともに譲らぬ証か。

 命は元より刃の上に乗っている。
 この程度では、殺人狂は止まらない。

 鞘を押し返し、力点をずらした。互いが相手の武器を押さえつけていた一瞬の均衡が崩れる。
 打ち合いが始まった。
 袈裟掛けの一撃に鞘を翳し、滑らせ受け流す。返す刀の横薙ぎを地を這うようにして避けた。低姿勢のまま、突き下ろしの一撃を前進してかわす。すれ違いざまに足に斬りつけるが、相手は地に突き刺さった刀を支点に跳び、回避してのける。
 振り向くより先に刀を後ろに向けて振るう。弾かれる。身を翻してまたも突貫し、ただひたすらに打ち合いを続ける。
 一刀一刀が雨粒の軌跡とするなら、その空間はまさに嵐の最中。絢爛な剣戟が聴覚の全てとなる。
 驟雨のごとき十の連撃を受けては、隙間を縫って三の斬撃を打ち返す。
 幾十、ともすれば百に届く剣戟を奏でようかという頃、リューグは鞘を構えた左腕をやや下げた。続けざまに刀を引き、上段より振り下ろす。容易く受け止められて、火花が散る。
 切り結んだも一瞬、即座に反撃の突き返しが来た。空いた胴を狙う刃の煌きを、しかしリューグは笑顔のままやり過ごす。
 鍔鳴りの音が、甲高く響いた。
「……!!」
 驚愕に、相手の口元がはっきりと歪む。
 リューグは突き出された刀に自らが持つ鞘を被せ、その挙を封じたのである。鞘の歪む感覚が手に残る。リューグは囁くように、声低く言った。
「貴方の命がこの鞘より高いことを、祈るばかりです」
 敵が刃を退く間も与えず鞘を真横に払う。刀が地面を転げるより一瞬前、刀を寝かせながら動きの止まった相手の懐に潜り込む。
 その瞬間、勝利を確信した。そのまま刃を滑らせ、敵の胴を薙げばお終いだ。
「……抜剣イグニッション
 ――重い声が聴覚を席巻するその刹那まで、リューグの勝ちは揺らがなかったはずだったのだ。
「……ッ!!」
 〇コンマ〇二秒のタイムラグ、走らせかけた刀を止める。
 背筋を駆け昇る危険信号がリューグの身体を突き動かす。考えるよりも先に地面を踏みしめ、跳びすさった。首筋を刃が掠める。一歩遅ければ首が飛んでいた。身震いする間もなく、左に殺意を感じて刀を翳す。斬撃を防ぐ音が響き、手に痺れが残る。
 剣気と呼ぶには禍々しく、闘気と呼ぶにはあまりに冷たく、殺気と呼んでもまだ足りない――圧倒的な気配が、男から発散されている。凍りつくような覇気をして、男は距離を離したリューグへと刀を振るった。
 瞬間、鼻先三寸を剣風がかすめる。リューグは驚愕を顔に出さないまま、あらん限りの集中力を動員して剣筋を見ようとした。
 しかし、叶わない。リューグは甲冑の男から八メートルの距離を取った。完全な射程外レンジアウトである。なのにいかなる術を持ってしてか、男は斬撃をそこへ至らせる。男が剣を振るえば、その度にリューグに一撃が届くのだ。
 ――それはまさに『接敵しない白兵戦』という、矛盾した理想の体現。
 もはや後退するしかない。尚も距離は広がり、九メートル。男が一度刀を振るたび、不可視の刃がリューグを襲う。あわせて十五打目を弾いた瞬間、視線の先で男が深く腰を落とした。背中を見せるほどに身を捩り、溜めたバネを余さず一刀に伝えんとする姿勢が目に飛び込んでくる。
 歯を食い縛って、縦にした刃を突き出し、峰を左手で支える。
 タイムラグなく、衝撃が来た。地面から足が離れる。リューグの身体は、まるで紙で出来た鶴のように軽々と宙を舞った。


 コンテナに叩きつけられて咳き込んでいるところに、余計な荷物が一つ降ってきた。腹筋に精一杯力を入れてその『荷物』を受け止める。
 予想以上の衝撃に、ザイルは意識を放り出しかけた。体重七十キロは確実にあるであろう人間をこうも軽々と吹っ飛ばす膂力というのは一体なんなんだろうか。もしかしたら、俺達は報酬二万ドルじゃ到底釣り合わないようなバケモノと戦ってるんじゃないだろうか。そんなことを考えながら、口を開いた。
「どけ、邪魔だ、重い」
 ぶっきらぼうに言うと、『荷物』が身じろぎした。地面に手を付き、ゆっくりと立ち上がる。
「……身を挺して庇ってくれたのかと思ったんですが、違いましたか」
「そんな殊勝なマネをするツラに見えるのか?」
「むしろ吹っ飛ばされた人間を見たら笑いに笑ってやる、という顔をしていますね」
「よくわかってるじゃねえか後で覚えとけバカ野郎」
 ザイルもまた、ゆっくりと立ち上がった。少し距離を置いて、甲冑の二人組が仁王立ちしている。戦闘続行は必至だろう。こちらも、これで逃げ帰ってやるつもりは全くない。
「あんな腕利きがいたなんてな」
「狭いかと思えばこの凍京、なかなかどうしてまだ広いようです。……ザイル、少し手を借りても宜しいですか?」
「ピザ三枚で引き受けてやるよ」
 ザイルは不敵に笑った。リューグもまた、いつもの微笑で応じる。リューグはザイルに耳打ちを落とすと、再び刀を持った甲冑の男へと向き直る。
 緊張感が再び高まり始める戦場の中心で、ザイルは両手のショットガンに目をやった。二挺とも、銃身が飴細工のように捻じ曲がっている。飽いた玩具を投げ捨てる子供のようにショットガンを捨てると、甲冑の女へと声をかける。
「聞いてもいいか?」
「答えられることならね」
 殺し合いの最中とはとても思えない軽い声で女が応じる。ザイルはやや表情を緩め、問うた。
「もしあんたがやる気だったなら、俺をそこに転がってるショットガンみたいにできたはずだ。なんでそうしなかった?」
 問いをぶつけて、四半秒の沈黙。口元をナックルガードで押さえるようにしていた女は、やがて思いついたように唇を開いた。
「酔狂ってとこかな」
「酔狂?」
「もちょっと言うなら、チャンスをあげたってこと。まだまだ素敵な曲を作りそうなアーティストのアルバム、期待の意味をこめて買うみたいなね。……だから」
 再びファイティングポーズをとり、軽くステップを踏む。女は触れれば切れるような怜悧な声で、ザイルの鼓膜を射抜いた。
「次に音をハズしたら、躊躇なく切るころすよ」
 彼女は、戦闘を歌に――芸術になぞらえて語っている。
 踊るように戦い、歌うように殺す。そんな女が目の前にいる。常人ならば恐怖に身を震わすであろう台詞を前に、ザイルは喜色満面で笑った。
「――シキ、聞こえてるか」
『ああ。サポートが要るかい?』
 ザイルはコートの前を開け、二挺のサブマシンガンを捨てた。懐に残った最後の拳銃、デザートイーグル・レプリカを引き抜く。親指で安全装置セフティを弾き上げた。発砲可能を示す赤いマーキングが露になる。
「BGMを頼む」
『……正気?』
「冗談に聞こえるか?」
『冗談のつもりだったんだけどねえ』
 呆れたような声が帰ってくるのを無視した。いつでも撃てる状態になったデザートイーグルを構え、ザイルは早口にリクエストを呟く。
「埃を被ったようなハード・ロックを頼む。オーヴァードライブが効いててテンポが速けりゃ、それでいい」
『……ロックスターに今の台詞を言ってみなよ。すぐに神様の所まで連れてってくれるだろうさ』
 シキがぼやく声にかぶさって、パーカッションの連打が入る。シキの声が聞こえなくなるのと同時に、罵声を放つような勢いでボーカルが叫びだした。
 ――The golden light about you, show me where youre from金色の炎を点けて、お前の居場所を教えてくれ……
 歌詞に唇を歪めて、足でリズムを取った。十六ビートを爪先で捉え、リズムを刻んで走り出す。
 その勢いたるや、まさに火の玉ファイアボール。ザイル=コルブラントは、けたたましく叫ぶボーカルに重ねるように銃を跳ね上げた。
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