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  白い闇  

 午前二時。
 霧の濃い夜だった。ザイルは目を細めて街灯に寄りかかる。傍らには、長い包みを杖のように地面に付いたリューグが、いつも通りのアルカイックスマイルを浮かべて立っている。風が吹くたびベージュのコートの裾が揺れた。
 まだ夏だが、それにしては冷たい風が吹いている。草木も眠るような深い夜だ。ザイルは七本目の煙草に火をつける。
「そろそろ時間だな」
「ええ。準備はよろしいですか?」
「一応な。……おまえが身軽そうで羨ましいぜ」
「これでもナイフを十本携帯しているんですがね。……あなたのそれはやり過ぎでしょう。火力と戦闘力はイコールで結ばれるものではありませんよ」
 リューグが呆れを滲ませてザイルの格好を見やる。
 ザイルもリューグも基本は同じ、防弾・防刃繊維が編み込まれたコート姿だが、シルエットを崩さない程度に武装しているリューグに対し、ザイルの武装は過剰とも言えるレベルだった。コートのシルエットが所々で崩れている。
 ザイルは大儀そうに煙草を弾き捨てると、煙と共に気だるげな声を返した。
「何が出てくるか解らないなりの備えだよ。これでもそれなりに動けるし、いざとなれば重いものから順に撃ちきって捨ててやる。どうせ生産番号シリアルは削ってあるんだろ?」
「……なんでもかんでも使い捨ての精神で扱うのをやめて欲しいものです。これで仕事が失敗に終わったら、目も当てられない赤字ですよ。ちなみに内訳を教えていただけますか」
「アーセナル・システムズから二モデル。エッジ°繝~リハンドガンとワスプ′ワ.七五ミリサブマシンガン、それにベネリ・アーモリーマン・マッシャー¥\二ゲージショットガン。あとはイスラエル・ウェポン・インダストリーデザートイーグル・レプリカ<Cンファイトカスタム。全部二挺ずつ。それと撤収用に煙幕手榴弾スモークグレネードを三つか」
 持っている武器の仔細をつらつらと述べると、リューグは頭の痛そうな顔をして眉間に人指し指を当てた。こうした表情を見ていると、彼がグループ内で一番の苦労人に思えてくる。しかし、その労苦を斟酌するかどうかはまた別の話だ。ザイルは白い霧の向こうに目を凝らす。やがてハイビームが霧を突き抜け、辺りを白く染め上げた。
 二人が立った一角を真昼の明るさに照らし出したのは、縦列に走る三台の車である。
「来たぞ。いつまでもしまりのない顔をしてるなよ」
「誰のせいでこんな顔をしてるとお思いで?」
 リューグが非難がましい視線を向けてくるのを無視して、ザイルはやってくる車を見た。どれもこれも一般車だったが、さすがに防弾加工程度はしているだろう。
 三台の車はザイルたちのすぐそばに止まった。優雅さを演出するような数秒の間のあと、中央の車から二人、スーツ姿のごつい男が姿を現す。彼らに続いて、細い足が後部座席から滑り出て地を踏んだ。最後に車外に出たのは、赤毛の女だ。昨晩――いや、もう日付上は一昨日の夜か――に資料で見たのと同じ顔だ。
 細身で、ワインレッドのスカートスーツを身に纏っている。風になびく長髪はスーツの布地よりも遥かに赤く、鮮やかだった。ミラーシェードが目元を隠しているが、見間違いようもない。護衛対象の女――ネル=エイレースであった。
 リューグが一歩進み出て、恭しく礼をした。
「初めまして、ミズ・エイレース。今回は当方に事を預けていただいて、光栄です」
「貴方がたの活躍はよく耳にするわ、ミスタ・ムーンフリーク。今日はよろしくね」
 どちらからともなく自然に右手を預けあい、軽い握手を交わす。リューグはこういった顔合わせなども如才なくやってのける。
 ザイルはいつもと同じく挨拶をリューグに任せ切りにして、街灯に背を預けたまま、成り行きを見守っていた。
「料金分の仕事はきっちりとさせて頂きます。価値ある仕事≠ェ我々のモットーですので」
「そう。期待しているわ。……ところで、そこの無愛想な方がミスタ・ハセガワ?」
 ネルはミラーシェードを外すと、スカイブルーの目でザイルを舐めるように見た。観察されているような心地に、ザイルは街灯から背を浮かせる。
「いいえ、違います。彼は最近、我々と行動を共にすることになった――」
「コルブラント。ザイル=コルブラントだ」
 倦怠感を剥き出しにして名乗ると、彼女はやや鼻白み、軽く咳払いをした。
「……お喋りはお嫌いかしら?」
「無駄が嫌いだ。前置きは要らないだろ。やることは全部そっくり承知してる。あんた達は俺達を使う、俺達はあんた達から金をもらう。それだけで十分だ」
 覇気ややる気といったものをごっそりとどこかに置き忘れてきたかのような口調で言葉を連ねると、ネルは目を細め、若干顔をしかめる。
「この道のプロの台詞にしては、少し浅はかではなくて?」
「俺の仕事は鉄砲ぶっ放して敵を黙らせることだけなんでな。精神衛生に気を使いたいなら、そこのニヤケ面と喋っててくれ」
 親指でリューグを指すと、彼は肩を竦めて二人の間に分け入り、ザイルの肩を押してネルに向き直った。
 むっとした顔のネルが口を開く前に、リューグが先んじて切り出す。
「不快にさせましたら申し訳ありません。彼は他人に対する配慮が根底から欠けている人間でして。……ですが、腕は確かです。お喋りでしたら僭越ながら、私がお相手をさせて頂きます。道中、質問や確認がございましたら、どうぞ私へ」
 なかなか酷い言われようだ。ザイルは鼻を鳴らした。肩越しに振り返ったリューグと目が合う。細めた目の奥が鋭く光った。言いたいことは大体判る。クライアントを不機嫌にさせるのも大概にしろ、といったところか。
 了解の返事の代わりに肩を竦めた。
「……判ったわ。彼と話をしても疲れるだけの気がするから。けれど、もう少し同僚の勤務態度に気を遣ったほうがいいわね、ミスタ・ムーンフリーク」
「肝に銘じておきます。……では、こちらをどうぞ」
 不機嫌もあらわなネルに貼り付けたような微笑で答えると、リューグはコートのポケットを探った。取り出したブローチほどの大きさのアクセサリーをネルへと差し出す。
 突然のことに、ネルは目を幾度か瞬いた。
「……ご機嫌伺いのプレゼントにしては唐突ね、ミスタ?」
「そう受け取って頂いても構いませんが、残念ながらそうではありません。ただの発信機ですよ。取引相手が戦闘行為に及んだ場合の保険という奴です。我々が敵を足止めする必要がある場合、あなたがたの行き先が判らないのでは追従しかねますから」
 ネルはふうん、と小さく息を漏らすと、思い立ったようにスーツの襟元にそれを留めた。紅玉を金で縁取ったような簡素なデザインだが、彼女がつけると上等な装身具のように見えるから不思議だ。
 ザイルは気付かれないように感嘆の息を漏らした。人を誉めそやす趣味はないから黙っていたが、ネルは美しい。
 ネルは数度発信機を引っ張り、きちんと留まっているか確認した後で、口を開く。心なしか悪戯っぽい微笑を浮かべていた。
「……それにしては随分と可愛らしいデザインね。これも気遣いのうちかしら?」
「見目麗しい方には相応のものをと、凝り性な仲間が腕を振るった次第です」
「ではその仲間の方に感謝するわ。伝えておいてもらえる?」
「承知いたしました」
 二人の表情にまた初めと同じような薄い微笑みが満ちる頃、黒服の一人がネルの傍に寄り、耳打ちを落とす。
 ネルは軽く頷くと、黒服はあらかじめ判っていたように、前後の車へと歩いて、その助手席に乗り込む。それを確認してから、彼女はやや姿勢を正して車を指差した。
「あなた達には中央の車に乗って、私の両脇を固めてもらうわ。……期待してるわね」
「お任せください」
 返事をするリューグを尻目に、ザイルは装備の固定チェックを済ませながら車へと歩き出した。背に刺々しい視線が刺さるのを感じるが、意にも介さない。車の後ろを回り、反対側から後部座席に乗り込んだ。ちらりと視線を向けると、ネルがミラーシェードを掛けなおしているのが見える。
 ――釣りあがった目を隠すなら、への字の唇も繕った方がいいぜ。
 ザイルは皮肉っぽく笑いながらも、最後に思いついたからかいだけは大人しく飲み込んでおいた。ネルに続いて乗り込んできたリューグが、静かな覇気を発していたためである。
 集中の邪魔をすると後が怖い。
 ザイルは大人しくシートに身を預けて目を閉じ、感覚を研ぎ澄ます。何も気負うことはない。元より彼は殺人鬼だ。意識を四肢に飛ばし、五感を尖らせ、殺気と敵意とを感じ取る第六感への扉を開く。
 五秒して目を開いたとき、ザイル=コルブラントの瞳はナイフの刃先のような光を宿していた。――荒事のプロフェッショナルとしての輝きが、そこにあった。

 車が止まったのは、埠頭倉庫街の片隅だった。霧が漂い、海は白い闇に包まれていた。正面に視線を向けると、ガラス越しにくすんだ金髪をした男と、甲冑のようなものを着込んだ護衛らしき二人の姿が見えた。その後ろには車が二台と、筋骨隆々とした体躯の男たちが控えている。
「降りるわよ」とネルが呟くのを皮切りに、ザイルとリューグは左右のドアをそれぞれ開けた。
 車の前まで歩き、取引相手と相対する。互いが互いを値踏みするような、数秒間の沈黙。こうしてみると、相手方のメインの護衛と思しき二人の異質さが際立つ。ネルの半歩前に立ち、いつでも飛び出せる態勢を作りながら、ザイルは二人の姿を観察した。
 共通して言えることは、まず、口元だけが露出するバイザー型のヘルメットを被っていることだ。つや消しの黒色をした甲冑は、関節部を除けばほぼ全身を覆っている。極限までダウンサイジングしたアーマノイドを思わせるフォルムだ。
 片方は中肉中背で両腰に刀を帯びており、腕組みをしている。もう片方は両手に金属製の護拳ナックルガードをつけていた。かなり小柄で、身の丈一六〇センチに届くか届かないかといったところ。ヘルメットの後ろからは、黒く長い髪が伸びている。
 ――見掛け倒しだろうと笑うことは簡単だったが、嫌な予感がした。見覚えのない装備と、明らかな近接専用の武器。ネルの左を固めているリューグのほうを横目で伺うと、彼もまた首を横に振る。初見だということだろう。
 膠着にも見える静寂を破ったのはネルだった。
「初めまして、ミスタ・フェンリル。会えて嬉しいわ」
 フェンリルと呼ばれた男は、ストライプのスーツの襟を正しながら見え透いた作り笑いを浮かべた。
「こちらこそ、ミズ・エイレース。今夜の取引が良いものになるよう祈っているよ」
「品物は持ってきてくれたかしら? 私達の方はこの通り――」
 彼女が指を鳴らすや否や、黒服の一人がトランクケースを携えて彼女の傍らに参じ、開けてみせる。
 横で見ていたリューグが目を僅かに開いた。ザイルは思わず息を飲む。トランクケースの中には、ぎっしりと札束が詰まっている。自分達の報酬は、この金を用意したときの端数なのではないかと思うほどに、凶悪な額だった。
「きちんとそちらが所望した額、用意してきたわ」
「実に良い心がけだ。我々も君たちが満足するだけの質のものを持ってきたつもりだよ。――例のものを出してくれ」
 金髪が指を鳴らすのと同時に、彼の後ろに控えていた黒服の一人が小ぶりなケースを持ってくる。それを装甲服を着た護衛の片割れ――刀を持っているほう――が受け取り、ケースを開けて掲げた。白い粉末の入った紙袋が、バンドで押さえられてケース一杯に詰まっている。
 ――薬か。
 白い粉末と巨額の金。麻薬以外に思いつかない。横を伺えば、リューグもまたいつもの微笑みのままケースの中身をうかがっている。今更薬がどうのと騒ぐようなモラルは持ち合わせていない。取引内容については口を出さない約束だ。
「じゃあお互い、物を交換して検品しましょうか」
 ネルの一声と共に、ザイルにトランクケースが渡される。ザイルはそれをだらりと手に下げて持ち、ゆっくりと相手のほうに歩み寄った。刀を帯びた相手方の護衛も、同じような歩調で歩いてくる。
 手を伸ばせば触れられそうな所まで間を詰め、ザイルは慎重にケースを差し出した。バイザーの向こう側の瞳を見ることは出来ないが、今のところは殺気もない。相手も同様にケースを差し出してくる。互いが相手のケースに手をかけ、そして同時にゆっくりと離した。
 ザイルはそのままゆっくりと後退る。相手も警戒するように下がっていく。数秒間、張詰めた緊迫の中を歩くと、ザイルはゆっくりとネルの横に戻った。薬物の詰まったケースを黒服に突き出す。
 黒服は淀みなくケースを受け取り、検品を始めた。数分と経たない内に「いい品質です」という答えが返ってくる。ネルは満足そうに「そう」と呟くと、ミラーシェードを外してにっこりと微笑んだ。
 その一連のやり取りを視界に納めながら、ザイルは相手方の様子を見やる。数人掛かりで札束を数える様子を見て、羨ましそうなため息をついた。
「なあ、アレ全額持ち逃げしたら、この先一生働かなくてもいいんじゃねえか?」
「失った信用は金では買えません。却下します」
「だろうと思ったよ……」
 想像通りの言葉が帰ってきて、ザイルは肩を竦めた。何も、彼も本気という訳ではない。
「止めておいたほうがいいと思うわ。理由はすぐに判るだろうから、言わないけれど」
 ネルの悪戯っぽい声が聞こえて、思わず肩越しに振り返る。彼女は笑っていた。真赤なルージュで彩られた唇を、蠱惑的にゆがめている。その表情に底冷えのするものを感じて、ザイルは眉をひそめた。
「興味がありますね。今すぐその意味を問いたいほどに」
「せっかちなのは嫌われるわよ、ミスタ・ムーンフリーク」
 リューグの追求をまるで猫のようにはぐらかすと、ネルは手近な黒服に何事か耳打ちした。黒服は頷くと、ケースを持って車に戻る。
 ケースを持った男が車に入るその少し前に、相手方が少しざわめいた。ストライプスーツの男――フェンリルが、そのややグレーがかったブロンドを撫でながら、厳しい語調で言葉を発する。
「どういうつもりだ、ミズ・エイレース」
「問題ないでしょう? 金額は確かに納めたはずよ。五十万ドル、不服かしら」
 対するネルは涼しい顔だ。初めからこうなることを予測していたかのようでもある。
「金額上は問題ない。それは確かだ。問題ない――そうだな。君に言わせればそうだろう。しかし、我々とてこんな熱い金を覚まさず使うことは出来はしない。通しナンバーの紙幣を一気に使えばそれだけで自殺行為になる」
「そうなるでしょうね。この機に処分することにした金ですもの」
 楽しげに言うネルに対して、フェンリルは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……なるほど、君たちが噛んでいたのか、先月の強盗事件は」
「さあ、どうかしら? あなた達の嫌いな中央警察セントラルポリスに聞いてみるといいわ。彼らも把握していないでしょうけれどね」
 二人の舌戦を見ながら、ザイルはうんざりと表情をゆがめた。どうやら備えていても憂いばかりのようだ。会話を聞くに連れて徐々にリューグが活き活きとした顔をし始める。終いには刀の包みを解きだした。ザイルは心に垂れ込める暗雲を吐き出すように重いため息をつき、ヒップホルスターから二挺のASH-A9エッジ°繝~リハンドガンを引き抜いた。
資金洗浄マネーロンダリングするにも、額が額だ。危険を冒すことも出来れば避けたい。……ケースを返してもらおう。今ならこの取引を破談とするだけで引き返せる。判断を間違えないでいただきたいね、ミズ・エイレース」
「嫌だ、と言ったら?」
「こちらとしても相応の対策をとらせてもらうことになる」
 金髪が呟くと同時に、装甲服を着た二人が一歩前に出た。長髪のほうがナックルガードを付けた手をボクシング・スタイルで構え、刀を持ったほうが二本の刀を一手に抜刀し、クロスさせるようにして構える。
 それに答えるようにリューグもまた抜刀し、鞘を逆手に持って構えた。ザイルは陰鬱な表情のまま、ハンドガンの安全装置を外す。
「上等よ」
 ネルが、笑った。
「なら、取引はここまでよ。いい、二人ともバッドボーイズ? そこの二人を足止めして頂戴。私が生きて戻れたら、キスと報酬をまとめてあげるわ!」
 ザイルは肩を竦めて天を仰いだ。リューグは楽しげに刀をくるくると回して、刃先を相手方に向けて止める。
「楽しみにしていますよ、ミズ・エイレース」
「……そら見ろ。いつだって嵐の中だ」
 呻くように呟く。
 白い闇の中で、傍らのリューグが刃の光に目を細めた。耳元に手をやり、呟く。
「シキ、聞こえていますか? ミズ・エイレースの移動コースをトレースしてください。こちらはこれより――戦闘に入ります」
『状況を把握した。残念、ザイルのお祈りは無駄だったみたいだね』
 打てば響くように返答が返ってくる。ヘッドセットをつけて情報機器の前に座る彼が見えるようだった。
「……余計なことを言うんじゃねえよ」
 明らかな殺気が満ち、場の空気が固くなっていく中で、ザイルは憮然としてから――あきらめたように笑った。どうあってもぶつかるしかないなら、この殺し合いを少しでも実りあるもの、、、、、、にしよう、という心情にもなる。
 それを察したか、リューグがやや距離を離しながら笑った。
「楽しめそうですか?」
「楽しむしかないだろ」
 シキが、通信機越しに最後の一言を寄越した。
『必要があれば呼んで。逃げ道のナビからBGMの世話まで、なんでもするよ。――護衛対象が安全圏へ離脱したら、追って連絡する。二人とも、気をつけて』
 見えない支えが後ろにある。
 戦う仲間が横にいる。
 慣れ始めた、けれどまだ新鮮な気分だ。悪くない。ザイルは唇を笑みにゆがめ、刀を敵陣に向けるリューグに合わせるように銃を持ち上げた。
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