あぁ 僕はいつも 精一杯 唄を歌う ウタヲウタウ――…
ある日曜日の午後だった。
僕はお気に入りの店に来ている。
しながい記者をやっている僕の、安息の場所だった。記事もよくここで書いている。
家の近所にあるということもあって、この喫茶店には長いこと通い詰めている。
内装は清潔感に溢れていて、女子高生にも人気がある。テーブルにひとつは花瓶が配されていて、見るものの目を楽しませていた。窓際では小振りな観賞用の木鉢に埋まって据わっている。
そういえば十二月の終盤は、確かあの木は飾り付けられてクリスマスツリーになっていた。
会社にも家にも近くて、料理が美味くて、価格設定も良心的で、何より空気が暖かかった。
通わない理由がないような店だった。
おかげさまで昼食は、何時もここで食べていると云っても過言じゃない。
今日もいつものメニューを食べながら、グラスを磨いているマスターに話しかける。
「いやー、奥さんの料理、美味しいですね。特にこのカレーコロッケカレー。矛盾してるけど何故か美味い」
「……どうせ俺はコーヒーしか入れられませんよ……」
「あはは、拗ねないでください。マスターの淹れたコーヒーも僕のお気に入りですから」
「そう言ってくれるのは……まあ、嬉しいんですけど」
どんよりと曇った空みたいな表情を見せながら、ますたーがコーヒーを淹れてくれる。
……今の言葉通り、料理全般は奥さんが担当しているらしい。何時だったか、マスターがいないときに奥さんに一度聞いたことがある。曰く、店長――マスターが料理を作ると、さりげなく劇物に限りなく近いものが出来てしまうそうなのであった。
そんなマスターの唯一の得意メニューは焼きそば。
およそ喫茶店らしくないと言って、いつも作ってくれない。夏の祭りの時期にだけ、作って出してくれるんだけど。
まあ、そんなわけで。
日々努力しているらしいマスターの努力の結晶はまたいつか拝むとして。
さくさくとした衣が魅力のカレーコロッケを軽く崩して、カレールーと合わせて口に放り込む。やっぱり美味い。
「少しは俺も料理できるようにならないとな……とは思うんですけどね。なかなか」
「あはは。向上心があるのはいいことですよ。――でも、良いですよねこのお店。こういうのが夢だったんですか?」
「いや……ホントは別の夢があったんですよ」
照れたように言うマスター。
軽く頭を掻いて、右手を額に当てていた。
照れくさそうな、恥ずかしそうな、大したものではないけれど、でもとても大切な宝物を見せるときのような、そんな表情をしている。
数ヶ月通っているけれど、マスターのそんな表情を見るのは初めてだったと思う。
……すごく気になった。
気付いたら問い返していた、と言ってもいい。
「へえ、どんな?」
「……きっと笑いますよ」
「笑いませんよ」
「ふふ」
会話に連なる笑い声は、後ろから。
短く赤い髪を、黒丸の二つ付いたバンダナでまとめた妙齢の女性。
手には拭きかけの皿を持って、鈴が鳴るようにころころと笑う。
左手の薬指には、きらりと光る控えめな指輪。
「って、なんで君が笑うかな」
「ごめん、ちょっと懐かしくなって」
奥さんが笑うってことは、二人共通の思い出なんだろうな、と漠然とした想像をした。
「まーすーたーぁ。 観念して教えてくださいよー」
「…面白くないですよ」
「笑えるんじゃないんですか?」
「笑えるっていうか――うう」
参ったなぁ、と言いたげな表情でマスターはエプロンの胸前に触れる。
少し目を閉じて、なにやら思索を巡らしている様子。
ここではないどこかに暫く思考を飛ばしていた数秒、終えれば目を開いて、観念したように口を開いた。
「んー…あー………ふむ。…俺は、昔ね……」
カウベルの音。
店の雰囲気に誘われて入って来た女子高生らしい二人組の応対に追われながら、マスターは小さな小さな声で、僕に答えを教えてくれた。
――外は夏。
喫茶店の内側からの笑い声が、外の陽気に融けていく――
――仮面ライダーになりたかった戦闘員――
-完-