......ANGEL.

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 太陽は顔を出さない。真昼の空は、しかしそれと思えないほどに暗かった。
 沈んだ曇天が、荒廃したストリートを押し潰している。町は灰色で、燻されたように煤けていた。
 
 普段ならば浮浪者がうろつくスラムの掃き溜めを、白い影の一団が往く。皆画一的に同じ白色の聖衣を纏い、面覆いで顔を隠していた。
 彼らが手にしているのは、聖職者には縁がないはずの銃器である。散弾銃、拳銃、短機関銃……いずれも、悪趣味なほどに白い。
 装備だけで見れば、その聖職者達は軍隊とでも戦える戦力を持っていた。
 死蝋のような色をした白面と、色調をそろえた聖衣、そして銃。
 彼らが整然と行進する姿は、スラムに住まう低所得者達を大いに怯えさせていた。
 彼らは、一言も喋ることなく追っていた。
 背教者を。
 教えに背き、神罰を受ける事になった一人の――いや、一体の男を。

 空はまるで塗りこめたような灰色。
 落ちてくる同色の雨粒が、死蝋の面に弾けて滑る。



 男は、路地裏の掃き溜めで熱い息を吐いた。
 しかし、彼は呼吸をしているわけではない。それは内燃機関から生み出された熱を排気するためだけの、機械的な行動である。
 軍靴の足音が聞こえてきた。足並みを揃えて、整然とやってくる。聖歌隊の伴わないガン・パレードだ。
 それが自らを追ってくるものだという事も、彼はとうの昔に承知している。だというのに、彼は凪いだ表情をしていた。心に針があったとするならば、その触れ幅は限りなくゼロ。恐怖という概念を初めから知らず、そしてこれから知ることもない。
 燃える体で落ち来る雨を抱く。ベージュのコートの内側で、ただ目的を遂行するために熱が高まっていく。
 こんなにも熱いのに、ひどく寒い。男はただ、雨をすり抜けた腕で、自らの身を掻き抱く。
 雨の降る路地裏、彼の横に体温は亡い。
 二度と触れられない位置に、あの天使は飛んで行ってしまった。
 手の届かない場所へ消えた者への哀悼をどのように表せばいいのか、彼は知らない。両手に握り締めた銃のグリップだけが、触覚として男の意識をその場に繋ぎとめる。
『もう寂しくないよ。キミがいるなら』
『イーグル、一緒にいようね』
『機械だって思ったことはないよ。イーグルは、イーグルだもの』
『この恋愛小説を読んでレポートを書きなさい! 恋の何たるかを思いだせるから!』
『……泣いているのはね、悲しいからなんだよ。大丈夫、イーグルにもきっと、いつか、わかるよ』

『確かにね、人は楽しかったら笑うけど――笑ったとき、いつも楽しいわけじゃないんだよ』

 メモリの奥で掠れる、少女との三年間。左手に握り締めた拳銃のグリップが軋む音を聞いて、男は漸く力を抜いた。
 整然と響く足音は近く、すぐ傍にまで近付いてきた事を否応無しに意識させる。
 男は、自らの眼に内蔵されたカメラを赤外線モードに切り替えた。
 男は人体が発する微細な熱を感知し、壁越しにでも敵の所在を知ることが出来る。
 彼は人間ではなく、人間の形をした『別のもの』であった。鉄の体と水銀の血液、むくろから移植した生体部品、冷たい心と燃える身体。それが彼を構成する要素である。
 軍靴の音が角にかかる。曲がり角から白蝋の仮面が見えた瞬間に、男は行動を開始した。
 曲がり角までは距離十五メートル。撃たれる前に撃った。仮面が吹き飛び、先頭の一人がぐらりと身を傾ける。
 同時に姿勢を低くして、弾けるように駆ける。圧倒的な速度で距離を詰めた。低姿勢での疾走は、それそのものが弾丸を思わせる。身に纏ったベージュのコートが、バタバタと耳障りに暴れた。
 聖者の群れは前衛が一人撃たれたのを見て、瞬時に後退した。男の目には壁越しに無数の赤い影が散開するのが見える。正しい動きだった。
 ――相手が、この男でないのならば。
 教会兵たちが集中砲火の用意を整えだした瞬間、男は薄いコートを翻し、建物の影から飛び出した。
 最初に撃たれた聖者の死体が、まさに地面にくずおれようとする瞬間の事である。男は、敵に弾丸が直撃してからコンマ数秒で十五メートルを駆け抜けた。人間業ではない。
 曲がり角に姿をさらすや否や、彼は死体を蹴り上げて盾にした。
 聖者の群れは一斉にトリガーを引くが、咄嗟の照準では当たるものも当たらない。ましてや男には浮かせた死体という盾があった。聖者の列が撒き散らした銃弾は大多数が外れ、一部が死体にめり込んで停弾する。
 ただの一発さえ、男には当たらない。そのほんの一瞬の空白、一刹那の安全地帯の中で、男は鷹のように両腕を打ち広げる。
 約束された安全がどれほど短い一瞬であろうとも、男が筒先を聖職者達に向けるには、十分すぎた。
 翻した男の右手には、三十二発の拳銃弾を連続発射するサブマシンガンがあった。使いやすさを考えずに作られたような無骨な凶器を敵に向ける。照準は、一瞬。
 死体の陰から突き出したサブマシンガンの銃口が、教会兵を睨みつけて吼えた。秒間二十二発ジャストの連射能力を持つ銃が、鋼鉄の右手の中で唸りをあげる。
 ――神業であった。
 一続きのフルオート射撃で、複数の対象を狙撃する。言葉にすればそれだけだが、一度でも銃を扱えばそれがどれだけ困難かすぐにわかる。一人につき二発が叩きこまれ、唸る拳銃弾が教会兵の胸を、或いは頭を、生存に必要な器官を破壊していった。
 神でなければ、あるいは悪魔か。その手から放たれていたのは魔弾なのか。
 三十二発で十六人が死んだ。倒れ臥す音に続いて、生き残りが発砲する音が聞こえる。
 男は慌てもせず、再び地面に吸い込まれそうになっていた死体の襟首に、サブマシンガンの銃口を引っ掛けた。地面を蹴る。
 彼は一瞬たりとて止まらない。戦場では停止が即座に死に――破壊に繋がる事を知っている。
 盾にした死体に不気味な音を立てて銃弾がめり込むのを感じながら、男は左手の拳銃を連射した。
 ビルの間に荒々しく銃声が木霊し、そして、止む。無機質な仮面舞踏会が、沈黙とともに終幕を告げる。

 だが――舞台は彼に第二幕を要求する。
 遠くから整然とした音が聞こえる。死を運ぶ無機質な白い銃を持った、白い聖職者の足音が。
 まだ、カーテンコールは許されない。
 ベージュのコートを払いながら男は銃の弾倉を抜き、新しいものを叩き込んだ。

 塗りこめた灰色の空、重苦しいグレイ。
 灰色に混じる血の飛沫、その中で――
「……リーヴ……」
 彼が呟くのは、かつて隣にいたヒトの――否、天使の名前だった。






[ A N G E L ]






 その世界は、かつて『神の雷』と呼ばれる災害によって一度滅んだ。既存の国家というシステムは根こそぎ破壊され、世界人口の三分の二が死滅した。それでも、人類はまだ生きている。
 誰かが言った。
「どんなクソみたいな世界でも、明日があるなら生きなきゃいけない」
 ああ、確かに人間はそうかもしれないさ。
 イーグル=トンプソンはその発言を肯定する。
 しかし「だけど」、と付け加えて彼はいつもこう言っていた。

「じゃあ、機械はどうすればいいって言うんだ?」

 ――『神の雷』以降、人間たちは既存の最も信仰の篤かった宗教を、世界宗教として再編纂した。
 雷は驕り昂ぶった人間たちへの神の裁きである。
 故に信じよ。
 神は常に我々を見ている。
 敬虔に信じ、神を崇めよ。
 世界宗教はそう謳う。
 しかし、意識を持つ機械である、イーグル=トンプソンは神を信じていなかった。彼はヒトの都合によって生み出され、ヒトによって運用されてきた。ヒトと遜色なく思考し、動き、会話する自分は、即ち人と同じなのではないか、そう思うことすらある。
 こんな思考ができるような存在をヒトが生み出したのならば、既に神と人間は等価だと常々信じていた。
 だが人々は、そう思い込むには弱すぎた。世界宗教は人々の心の奥底まで浸透し、世界で宗教に思考を染めないものは無かったのだ。
 そこの所も同意はしかねながらもイーグルは解っていたから、余計なことは何も言わなかった。
 余計な事を言ってスクラップになりたくはない。その程度の自己保存欲はある。だから、何も言わなかった。
 ……少なくとも、その日が来るまでは。

 世界宗教は旧世紀に無かった教義の一つとして、天使生成を掲げていた。年に一度、選ばれた清らかな少年と少女たちが、人としての体を捨てて天使になり、天国へ昇って神に仕える。彼らがあればこそ、人間の祈りはよりよく届くのだと教典は訴える。
 機械であるイーグルにしてみれば理解できない話だ。そもそも、神が存在するかも怪しいというものだ。だが、それで人間たちが満足しているのならそれでいいと納得してもいた。
 外を歩く『天使』たちを見ても、イーグルは沈黙を守った。無機質な、冷たい銀の瞳でその儀式に連れて行かれる少年と少女を見ていた。薬で自我を殺され、引きずられるように歩いていく少年少女達は、まるで壊れたおもちゃのようだった。
 機械に心は無い。それを見ても何も感じなかった。
 ……そう、少なくとも、その日が来るまでは。



 彼我の火力の比は控えめに見ても十対一。
 悪くすればそれ以上の劣勢で、イーグルは劣っている。それにもかかわらず、彼は止まらない。誰にも止められない。
 ――人間の形をしているとはいえ、イーグル=トンプソンの基本性能は人間とは桁が違う。彼には物理的限界に迫る跳躍力、銃弾を見てから避ける反応力、あらゆる武器を手足のごとく扱う適応力がある。
 路地から援軍の一団が雪崩れ込み、周囲を確認する。その瞬間、破裂音が連続して響き、隊列の中ほどにいた二人が突き飛ばされたように倒れた。彼らが白面をつけた顔を跳ね上げた時には、すでにイーグルは落下を始めていた。
 銃弾の雨が降る。
 イーグルは、落下速に身を預けながら、銃弾を雨霰あめあられと撒き散らした。
 教会の外敵排除用のサイボーグとして開発されたイーグルは、戦闘素体としてのスペックで既に人間とは違うレベルにあった。素体は元傭兵の骸であり、そこに詰め込まれた最新技術は教会由来のハイテクノロジーだ。
 彼は一跳びでビルの三階の非常階段まで跳躍し、そこから教会兵に襲い掛かったのである。
 牽制というにはあまりに暴力的な攻撃に、敵手らが浮き足立つ。
 教会兵の取り囲むその中心に着地した瞬間、イーグルはその場に居た他の誰よりも早く行動を開始した。
 片膝立ちの体勢のまま、鋭角的に腕を伸ばす。翼を広げるかのように打ち広げた両腕の先に、炎の大輪が咲いた。激発する拳銃弾、吹き出す銃火マズルファイア、飛び散る血液とビルに映る影絵。
 発砲は愚か、教会兵たちは銃を向ける事すらままならなかった。彼らにとっての一瞬が、イーグルにとっては、ただ泥の中にいるかのように遅く、長い。
 立ち上がりながら回転するように彼は動いた。放射状に撒き散らす弾丸で教会兵を薙ぎ払う。一回転する頃には、全てが終わっていた。弾丸が切れた銃を放り捨てる。立ち込める硝煙の中、銃が転がる音に教会兵たちが倒れる音が重なった。
 イーグルはゆっくりと周囲を見回し、数人の兵士の武器を検分して回る。最終的に選んだのは、真っ白に塗られた気味の悪い拳銃だった。同じ型のものを二挺、そして換えの弾倉を持てるだけ持ち、殺人機械は再び歩き出す。
 彼は、因習を終わらせるために歩いていく。
 たとえ、それが神に背く行為であろうとも。
 


「……今帰った」
 ドアを開け、帰宅を知らせる。リビングからはニュース番組の音声がもれていた。
「あ、お帰り。紅茶淹れるけど、付き合ってくれる?」
 ソファー越しに振り向くいつもの表情に、軽い首肯を返す。
「そうして欲しいなら」
「自発的にものを言ってくれると嬉しいんだけどなぁ」
 ソファーの上に行儀良く座り、彼女が茶を入れる。
 アールグレイの香りが立ち上る。イーグルには生体部品が多数組み込まれていた。人間の真似事をして、食事を取ることもできた。
 ただ、それに意味はない。あるとするならば、目の前の少女の慰めになるだけだ。
 ゆっくりと、彼女の隣に腰を下ろす。ソファーが軋む。
「今日、天使になる連中を見た」
「……ああ、そういえば時期だもんね」
 何気ない会話の隙間、いつも通りカップを持ち上げて、紅茶を一口。
 イーグルの舌はすぐに一口あたりに含まれるカフェインと糖分の量を算出した。しかし、それは情報として判るだけだ。表現の仕方がわからない彼は、やっぱりいつも通りの仏頂面のままだった。
「どう?」
「糖分が比較的多めだと思う」
「またその答え? 甘いって言えばいいのに」
 くすくすと笑う少女の声に、イーグルはこめかみの辺りを掻いた。 
「感覚と記憶が結びつかないんだ。仕方がない」
「諦めたらおしまいだよ、イーグル」
 いつも通りのやり取りに顔をほころばせる彼女は、リーヴという名前だった。
 色素の薄い、白髪とはまた色合いを異にするくすんだ灰色の髪をショートボブにして纏めた、年頃の少女である。
 煩雑なファミリーネームがあったはずだけど、それは誰も覚えていない。
 彼女のほかにそのファミリーネームを名乗るものは、既に誰もいなかった。
 二年前、よくある事故が彼女から四人の家族と、一人の恋人を奪いさった。その一年後にイーグルがここに来るまで、彼女は一人だった。見方によっては、今も一人なのかもしれない。
 彼は機械だ。今もつまらないニュースを垂れ流すテレビと、同列の存在だ。
 イーグルは唇を隠すように右手で被い、俯きがちに視線を落とした。沈黙していると、ふと視線を感じる。視線をのろのろと持ち上げると、リーヴと目が合った。彼女は柔らかく笑う。
「また何か考えてる」
「……別に。何も考えていない」
「嘘だよ。イーグルがそうするときは、いつも何かを考えているときだもの」
「……」
「わかるんだ。キミが覚えてなくても、わたしは……キミがイーグルになる前から、キミを知ってるから……」
 リーヴは、笑みを浮かべたまま、表情をゆがめた。難しい表情だった。彼女の『感情』を推し量れない。
「……リーヴ。その話は、しないほうがいい。俺は何も言えない」
「わかってるよ。知ってる。キミは……違うんだよね」
 彼女は手の中の紅茶の水面に視線を落とす。そっと指を絡めて持ち上げたカップの水面が、震えている。
「でもね……時々ね、割り切れないよ。声も、顔も、癖も、同じだから」
 一瞬だけ、リーヴが泣いているように見えた。
 けれど、それは錯覚だった。顔を上げた少女は、静かな――朝の湖畔のような微笑を湛えていた。
「イーグル」
 小さな、透き通った声。
「何だ」
「もし、だよ。わたしが急にいなくなったら、悲しい?」
「……何を藪から棒に。リーヴはずっとここにいる。そんな仮定は無意味だ」
「いいから。ね、悲しいと思ってくれる?」
 リーヴの声はいつも通り穏やかで透き通っている。けれど、その中には有無を言わさない調子があった。
 答えあぐねて――それが困る、と言う思考活動であると自覚する前に、口が事務的に動く。
「俺は人じゃない」
「――」
「ただの機械だ。……その疑問には答えるべき回答を持たない」
 イーグルはカップを再び持ち上げ、冷めかけた紅茶を飲んだ。『甘』かった。
 リーヴは、幾度かその言葉を咀嚼するように俯いた。数度の瞬きのあと、やがて顎を引いて、小さく笑う。
「……そうだよね。……バカなこと訊いたね、わたし」
 だからイーグル=トンプソンは、それで会話を終えてしまった。
 笑うと言う表情の動きが、リーヴが不快を感じていない、マイナスの感情を抱いていない印だと知っていた。

 ……だからその目が寂しいと云っていたことに、最後まで気付けない。



 旧暦でいう八月三日。
 リーヴスラシル=クーペルハイドは天使になった。



 戦闘が始って、優に七十分が経過している。
 その間彼は八度包囲され、その度に敵を全滅させてきた。
 死臭に満ちた路地裏を抜け、メインストリートを銃弾で薙ぎ払いながら、イーグルは聖職者の群れを踏み越えて走った。体はもう、半分以上が壊れている。生体部品が露出して、人間ならとっくに死んでいる状態のはずだ。
 彼が足を止めたのは、巨大な建物の前だった。両手に提げた白い銃から血を滴らせ、教会の鉄扉を見上げる。
 臓腑から、体の芯から痛みと言う形をした危険信号が込み上げてくる。それに構わず、無造作に銃を持ち上げ、トリガーを絞った。二段構えの錠と閂を、秒速三九四メートルの暴力で吹き飛ばす。
 支えのなくなった鉄扉を蹴り飛ばした拍子に、はみ出た内臓から銀色の雫が滴り落ちた。
 彼の体に赤い血は流れていない。イーグル=トンプソンは、ただの殺人機キリングマシンだった。
「――……!」
 足音がする。
 回廊の奥から、無機質な白い面覆いで顔を隠した聖職者達がやってくる。
 仲間が何人殺されようと、それに興味も持たないような素振りで、ただただイーグルを破壊せよと言う命令のためだけに走ってくる。
 仮面の向こう側の表情なんて、血まみれの殺人機には解らない。
 イーグルの左手で、拳銃が咆哮する。
 銃口から吐き出されたちっぽけな弾丸が、二十メートルの距離を一瞬で無に返す。仮面ごと白い聖職者の頭が吹き飛んだ。前から思い切り殴られたようにひっくり返って、それきり動かない。
 イーグルは撃ちつづける。弾丸が続く限り撃って、銃火に身をさらしながらリロードを行い、また撃ち続ける。
 血の匂いに混じる、無煙火薬の『甘』い匂い。
 悪夢のような、聖なる足音は、いまだ止まることなくイーグルを苛む。
 男は、無表情な顔を殊更に冷たく歪めて、膝を撓めた。弾き出された矢のように、加速する。
 敵と自分の間には、天を仰いでしまうほど絶望的な戦力比が横たわる。それでも、イーグルの目から涙は零れない。
 続いてやってきた後続がマシンガンでこちらを攻撃してくる。
 その銃撃を身を沈めるようにかわし、時折腕で防ぎ、或いは防ぎきれずに身体にめり込ませる。疲弊と破損を蓄積させながらも、イーグルの人差し指は、変わらずトリガーの上にあった。
 照準は極めて精確だ。稼動機構に過度のダメージが残らなければ、照準は狂わない。
 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。数人の教会兵の内臓が、腹から入って背中に抜ける銃弾によって爆散し、吹き飛ぶ。
 銀色の血液を流しながら、尚もイーグルは駆け抜ける。向かう先は一つ、大聖堂へ。
 不意に、銃声と同時に視界にノイズが入った。右半分の視界が一瞬ぼやけ、ブラックアウトする。原因診断。小さな三発の粒弾が右眼窩のメインカメラを破壊していた。
 潰れた右目から銀色の涙を流しながら、左目で殺すべき相手を見る。
 望遠ズーム仰角三度修正セットアップ発砲ファイア
 二十メートル先でショットガンを腰溜めにした男の頭が消失する。


 
 何気なく、いつも通りに家に帰った一週間前、彼女は家にはいなかった。だから、探しに出た。

 全てを知ったのは三日前。
 天使になった彼女は、二度と家には戻ってこない。
 満ちることのないカップと、小さなティーポットも、ただ埃を積もらせるだけになった。
 イーグルは紅茶の淹れ方など知らなかった。なら、それはもう誰にも使われることのないものだ。

 外に出た今朝。
 空から落ちる雨は酷く冷たく、見上げた彼の眼窩を濡らし、涙のように頬を伝わり落ちる。空は泣いていた。

 イーグル=トンプソンもまた、哭いていた。



 大聖堂に踏み込んだ瞬間、目に入ったのは司教座に座る男の姿と、その横に侍る十数人の『天使』の姿だった。
 イーグルは、もはやまともに動かない左足を引き摺りながら、伽藍の中心へと参じる。右腕はもう上がらない。ただ銃をぶら下げているだけだ。まさに、満身創痍だった。
「よくここまで来たものだ、機械風情が」
 司教はフードを被った天使の一人を抱き寄せ、尊大に言った。
「……天使とは、なんだ」
「んん?」
「何故毎年、彼らは消えていく。天国などありはしないだろう。俺は機械だ。そんな都合のいい場所などないと知っている」
 イーグルはメモリの中で回る思考を垂れ流した。
 司教は鼻から息を漏らし、笑った。
「教会が貴様のようなサイボーグを研究する費用をどこから捻出すると思っている。中央教会から回ってくる補充金など当てにならんのだよ。我々は天使生成の教義を上手く使っているに過ぎない」
「……どういう意味だ」
「物分りが悪いな。つまり天使は金になるのだ。子供はいいぞ、解体して売ってもいいし、数寄者にそのまま売りつけることもできる。いずれにせよ大きな金が動く。天使になった子供達の末路を追及するものは、教義の名の元に弾圧できる。人間の心に住み着いた世界宗教の前には、何人たりとも歯向かえまい。……そう、貴様のような機械を除いては」
「……!!」
 イーグルは左腕を持ち上げる。残弾十六発の白い牙が、手の中にある。関節部が損傷しているせいで狙いが定まらない。しかし、距離は十メートルだ。十六発を叩き込めば殺せないはずがない。
「下衆め。リーヴも、そうして売るのか。偶像アイドルとして祭り上げ、使い終えたら捨てるのか」
 司教は腹の肉を揺らしながら、法衣の裾を整え、ため息をついた。
「またクーペルハイドの小娘か。つくづく業の深い一族よ。親は教団のあり方に疑念を抱き、娘は最後まで天使になることを拒み、そのかつての恋人は死して機械になってまで我々に楯突く」
 だが、と司教は言葉を切り、傍らにいる天使のフードを払った。
「それも今日で終わりだ。動くな、イーグル=トンプソン」
 強い衝撃が彼のCPUを襲った。
 フードの下から現われたのは、濁った瞳をしたリーヴの顔だった。彼女の瞳は何も見ていない。ただ虚空を見上げ、もの言いたげに唇を半ば開いたまま、白痴のように立っている。
 銃を下ろすしかなかった。もはやまともな照準は出来ない。十メートル先の男の頭が、酷く小さな標的に見える。一つ間違えば、リーヴに銃弾が当たってしまいそうだった。
「卑怯とは言ってくれるなよ。ワシは死ぬときはベッドの上と決めておる。ここで亡霊に殺されてやるわけにはいかんのだよ」
 イーグルが銃を持ち上げあぐねる間に、司教はにたりと笑いながら、懐から拳銃を抜いた。キラキラと金色に光る、悪趣味なリボルバーだった。それを、リーヴの手に持たせる。
「リーヴスラシル。あそこにいるのは、背教者だ。お前に処断する力を与える」
「はい、司教様」
 かすれたテープから出るような声で、リーヴは呟いた。銃を握り、イーグルの頭に向ける。イーグルは爆発しそうな思考をまとめる事が出来なかった。
 こんなにも十メートルを遠いと思ったことはなかった。人を殺すじゅうをうつ腕なら五十メートルでも届くのに、なぜ、人を救うだきしめる腕はこんなにも短いのだろうか。
「リーヴ」
 彼女は表情を変えない。
 イーグルは一歩だけ踏み出した。リーヴは、イーグルが動いた分だけ銃口を動かす。
「……リーヴ」
 もう一歩。
 足元に銃弾が跳ねた。イーグルは足を止めて、床に穿たれた穴と煙を上げる銃口を交互に見た。
 彼女が二度と笑わないことなど、判っていたのに。
 彼女が二度と自分を呼ばないと、判っていたのに。
「撃て、リーヴスラシル。あれを壊せ」
「――はい、司教様」

 ――あの時俺が何か別の答えを出せば、彼女は今も笑っていたのだろうか?

 銃声が響く。サブメモリが二つ損壊し、でたらめな運動命令が出される。左腕が上に跳ね上がって、三度、左手の先で銃声が起こった。彼に感じられたのは、そこまでだった。もう一発の.三五七マグナム弾がイーグルの眉間にめり込み、メインメモリを吹き飛ばした。
 哀れなまでにあっけなく、彼は仰向けに倒れ、それきり動かなくなった。
 それが、殺人機の最期だった。



「――」
 司教様に従って、何かを撃った。
 命令に従う事が、今の私の存在意義だった。
 だから苦しくない、これが自然のはずなのに。
 胸が痛い。まるで行き先を失った涙が、心臓に溜まっているようだった。
「よくやった、リーヴスラシル」
「……はい、司教様」
 わたしはもうこれしか言えない。
 長い言葉を考えられない。
 壊れたサイボーグがから視線を逸らす。
 その時、ぎし、と何かが軋む音がして、わたしは上を見上げた。
 上にある十字架が、ぐらりと揺れた。
「どうした?」
 その時、まったくよく判らないけど、わたしはどうしようもない安らぎを覚えた。
 十字架を固定する金具に、亀裂が見えた。十字架がもう一度身もだえした。
 わたしは腕を広げる。
「――――いいえ、、、なんでもありません、、、、、、、、、、司教様」
 落ちてくる十字架は、抱ききれないほどに大きかった。



 潰れた司教席を囲み、天使達が歌う。溢れた血に爪先を濡らして、別れの歌を歌う。
 
 少女は輪から外れ、壊れた男の手を握った。

 火花を散らす男の頭蓋は、見るも無残に壊れていたけど、壊れているのは少女も同じだった。

 少女は歌う。一人だけ、違う歌を。

 少女は歌う。愛した男のために。

 それは届くことのないラブソングだった。
 この世の果ての、恋の歌だった。
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