D.R.S......

NOVEL

  ゲンフゼン。  

 さんさんと照る太陽に叩き起こされて身支度を整え、眠さのあまりこの世の全てを呪いながら学校に向かうと、中庭の花壇にフル武装した鮫島がいた。迷彩服とライフルと手榴弾とフェイスペインティングにヘルメット付である。こいつを見ただけで花壇がジャングルに見えてくるから不思議だ。
 心なしかいつもより花壇の緑が濃い気がする。チューリップというのはこんなに背の高い植物だったろうか。
「弾だ! 弾を持ってこい内藤!」
 花壇に伏せたまま、大げさな身振りで俺に七・六二ミリNATO弾を要求する不審者に、とりあえず目の覚めるようなストンピングを入れた。
「へげッ?!」
「とりあえず、花壇から、出てこい」
 一語一語区切りながら力を入れて踏みつけるが、アホが動く様子はない。相変わらず緑眩しいチューリップ畑のど真ん中をボディプレスで占拠したままである。こいつの腹の下では花咲かすことなく散ったチューリップが永久の眠りについているのだろう。哀れという他ない。
「がほっ、ぐほっ、それは出来ない相談だ! 戦場では頭は低く、ブッシュの中に隠れるのは基本中の基本だブッ」
「ここは学校だ、いい加減にしろバカたれ」
 気合を入れてストンピングを繰り返すと鮫島は芋虫のようにのた打ち回りつつ、咳を交えて声を上げる。
「ゴフッ、人の話は最後までガフッ聞けと親御さんにグボッ教わらなかったのか、っア、そこ、イイかも」
「黙れアブノーマルがちの人。最後までってどのあたりまでだ」
「具体的には君が狙われているという話あたりまでかな」
 ビシッ、と校舎の方から音が聞こえた。風を切って衝撃波が俺のほほを叩く。それに一瞬遅れて運動会でよく聞くピストルのような音が、雑木林の方から聞こえてきた。前髪が数本千切れてはらはらと舞い落ちる。ゆっくりと校舎に目を向けると、窓ガラスに開いた貫通銃創が視界に飛び込んでくる。
「スナイパーだ。先ほどから交戦しているが弾が切れてしまった」
 しれっと言葉を吐き出す鮫島。俺は銃創とペイントされたアホ面を二回見比べてから、慌ててチューリップ畑にダイブした。中園先生(三十五歳・独身・家庭科教師、趣味は家庭菜園と観葉植物栽培)、大変申し訳ない。けれど俺だって自分の命が大切である。
 すぐ横のアホと同じ態勢を取りながら小声で話しかける。ああ、制服が土まみれだ。
「すると何か、お前と親しげに会話をしていた俺はそのスナイパーとやらに撃たれたと? 今?」
「出会いがしらにブルーノ・サンマルチノばりのストンピングを食らわせるのを親しげと言うのならば、だが」
 俺は大きく息を吸って、海より深く吐いた。
「最悪だ。週初めからまたか、お前」
「まったくもって面目ない。が、僕にも制御できるものではないのだ、これは」
 一片の申し訳なさを顔に貼り付けて、白々しく鮫島が頬を掻く。そのとき、ちょうど後ろの窓ガラスが派手な音を立てて割れた。一拍遅れてまた遠くから銃声が響く。俺たちは二人してチューリップを揺らさないようにソロソロと、全く同じペースで右に移動した。はたから見ればさぞ滑稽なことだろうよ、ちくしょうめ。
「うーむ、向こうからはこちらが見えているようなのだが」
 難しい顔をして鮫島が唸る。弾丸が当たっている場所から見て、銃弾の飛来方向は大体予測できた。校舎壁面に対して垂直な場所、平たく言えば校庭奥の雑木林の中辺りからの狙撃だろう。
「お前からは見えてないのか。じゃあどうやって攻撃してた? 弾がないってことは、何発かは撃ち返したってことだろう」
「適当に、見当で」
「いや、もう、お前、撃たれろ」
 首根っこを引っつかんで顔を上げさせようとすると、ライフルに抱きすがりながら地面に吸い付くような態勢を取る鮫島。何か重力以外のダウンフォースが発生しているとしか思えない手ごたえである。
「ノー! ノーモアデンジャー! 僕が倒れたら誰があのスナイパーを倒すというんだね!!」
「少なくともお前が動かんほうが世の中は大分平和だ」
「大体にして狙撃手とは観測手とペアで動くものではないのかね! 元はといえばさっさと君が来ないから悪いのだ! これを使って僕のレンジ内にいる敵を探しつつ弾を掘り出して僕に渡したまえ!」
 論点がワープ航法で論理飛躍ロジカルジャンプを起してやがる。こういう政治家時々いるなあ、と思いながら、俺は突きつけられた双眼鏡を受け取って、それでそのままアホの頭をドついてやった。角のところが当たって破壊的な音が鳴る。レンズがいかれたかもしれないが構わん。
「こぁ……〜〜!!」
「人に物を頼むときはもっと丁寧に頼め。でないと俺の怒りの沸点が徐々に常温に近づいていく」
「い、いえっす、さー……」
 涙目で鮫島はガクガクと首を上下に振った。どうやらパワーバランスというものを思い出したらしい。大変、結構なことだ。
 

 現実不全症候群【Distorted reality syndrome】。
 二〇〇八年現在、日本では確認されただけで罹患者三名。いずれも思春期の少年と少女である。罹患者は頭文字を取ってDRS患者と呼ばれる。
 彼または彼女は、現実に強い不満を持っている。これでは面白くない、もっと面白いことはないか、そう常に考え続けている。
 彼らにとって、現実とは抑圧に他ならない。
 だから、非日常に憧れて、いつしか彼らは殻を破ることを考えだした。
 どこまでも無垢な子供のように、決まりごとの全てを無視して。

 
「一にも二にも撃ち返す弾がなければ始まらないのだが」
 びすッ。ばすッ。がしゃん、がしゃあん。
「まあ、だろうな。敵を見つけても反撃できないんじゃしょうがないしな」
 びしっびしっびしっちゅいーんばすっびしっがしゃん。
「うむ、現状認識についてコンセンサスが取れたようだ。というわけで」
 銃弾が空気を裂き、めくらめっぽうに俺たちの後ろの校舎に穴を増やしていく。あたりに俺たち以外の生徒の気配はない。今日はそういう設定なのだろう。歓声のように響く銃の慟哭の中で、鮫島は俺に向かってスコップを突き出した。
「弾を掘り出してくれまいか」
「ついに脳ミソが溶けたか? そのスコップでお前の頭を掘り返してやってもいいんだぞ」
 ドスを効かせて呟いてやると、鮫島はモーターを内蔵したおもちゃのようにガクガクと首を横に振った。
「落ち着きたまえ内藤。僕の思考は自宅が絶賛炎上中のアキバ系よりも冴え渡っている」
「それめっちゃテンパってるって言いませんかね」
 ツッコミと同時に顔の横のチューリップの茎が二本ほど弾け飛んだ。思わず首を竦める。
 ぶかぶかの迷彩服に亀のように首を引っ込めた鮫島は、格好とは対照的に雄弁に語った。
「何を言う。彼らは自らのDVDコレクションや同人誌が白日の元に晒されるのを避けるため、あらゆる対策手段を体系化して計算を開始するのだぞ。多くの場合、計算が終わるころには鎮火が済んでいるが」
「それは計算じゃない妄想だ。で、とにかく掘ればいいんだな?」
「うむ。早急に塹壕を作り出すくらいのレベルでそれ掘れ、やれ掘れ、急ぎ掘れ。掘ってみたなら全てがわかる。多分」
「わからなかったら次にお前の脳ミソを掘り出してやるから覚悟しとけ」
 はやしたてるようにぺしぺしと両手を打ち合わせる鮫島を半眼で睨み据えるが、おお怖い、と肩を竦めるだけで、ライフルを抱いたまま動こうとしない。俺は冷静に問いかけた。
「それで、俺が穴を掘っている間お前は何をしてるつもりだ?」
「索敵を続ける。ライフルスコープで」
「ほう、それはいいことだ。早いところ敵を見つけてくれ。俺の仕事が減るから」
「了解した、任せたまえ」
 鮫島は親指をぐっと上げると、ライフルを構えなおす。そっと弾のないライフルの筒先を上げ、銃床を右肩に当て、機関部を包み込んで抱くような態勢を取る。狙撃用の二脚バイポッドに体重をかけないように細心の注意を払っている事が見て取れた。
 そうして、伏せ撃ちプローンの態勢のままスコープを覗き込む。なかなか堂に入った姿勢だ。
 ふと、俺は日曜洋画劇場の昨日放送分の映画のタイトルを思い出した。『山猫は眠らない』だった気がする。なるほど、それなら合点がいく。俺は再びこいつに対して日曜洋画劇場の閲覧禁止令を出す必要があると思った。
 やり場のない怒りを地面にぶつけていく。土を掘り返すたび、地中深くまで潜っているチューリップの茎をいくらか打ち払う羽目になった。というか、チューリップはこんなに深く植えるもんだっただろうか。かなり掘っているのにまだ球根が見えない。つくづく現実と乖離している。
 溜息混じりに七十センチほど掘り下げたところで、手に固い感触が返ってきた。注意深く、その固い感触の回りの土を削っていく。きらりと、光を薄く反射して何かが光った。泥だらけの手でそれを引っ張り出すと――
「……シュールすぎないか、これ」
 出てきたのは、チューリップの球根だった。しかし普通の球根ではない。一つの球根の上部、茎が顔を出している部分を中心に、放射状に五つの七・六二ミリNATO弾が生えていた。『これがデファクトスタンダードです』とでも言いたげな公然ぶりである。さらに茎を払いながら二つ三つ掘り返すとみんな同じ形をしていた。しっかり弾も生えている。頭がおかしくなりそうだ。
「鮫島、掘り出したぞ」
「少し待ってくれ、今いいところなんだ」
 鮫島はうるさそうに右手を振ると、伏せ撃ちの態勢のまま、器用に雑誌のページをめくった。雑誌には手に汗握る格闘シーンが描かれている。ボクシンググローブが交錯し、打撃と共に汗が弾け飛ぶ。アウトレンジ型のボクサーとインファイト型のボクサーの第二ラウンドは、インファイト型が『当てられても構わず自分のレンジまで接近する』という開き直りを見せるシーンで締めくくられていた。
「やはりボクシングはいい……拳で戦う男と男の浪漫。狙撃戦にはない汗のぶつかり合いがここにはある」
 何やら感動して拳を握り締める鮫島。ふつふつとこみ上げる怒りを今まさに拳に注ぎ込む俺。
「ほう、それは大層なことだな。ところでお前、何をしてる」
「……はっ」
 雑誌を覗き込む俺の存在にようやく気づいたかのように、油を差し忘れたロボットを思わせる動きで鮫島が振り返った。
 俺には今、自分がとても怖い顔をしているという自覚がある。
 鮫島は引きつった表情で、ゆっくりと雑誌を閉じた。
「落ち着いて聞いてくれたまえ、内藤。不慮の事故なのだ。弾倉マガジン少年雑誌マガジンをかけたら面白いギャグができるかなと思った瞬間、僕の手にはマガジンが握られていたのだ。雑誌のほうの」
「それで読みいっていた、と」
「解ってくれるかい」
 聞き返すと、一瞬だけ表情を緩める鮫島。俺は精一杯の笑顔を浮かべて、
「解るか」
 スコップの平で四十回ほど、バカの頭をシバき倒した。


 DRS患者は"エピソード"と呼ばれる、目的が決まっており、終端が存在する「状況」を構築する。その形はそのときによって違い、彼らの精神状態を色濃く反映する。エピソードの構築自体は無意識下で行なわれ、完成したエピソードは本人の意思とは関係なく即座に実体化する。
 また、エピソードの目的が達成できなかった場合、エピソードの中で発生した人的・物的被害は現実のものとなる。
 そのため、DRS患者の攻撃衝動が強いときにエピソードが構築されると、第三者に被害が及ぶ可能性が出てくる。最悪の事例では数十名に及ぶ負傷者を出したこともあり、その危険度は計り知れない。故に、彼らが一般的な社会生活を営むためには、例外なく"レギュレイター"――調整者が必要となる。
 エピソードの目標を達成することで、DRS患者は自分のアイデンティティとレイゾンデートルを得、また確認する。レギュレイターはDRS患者の目標達成をサポートしなくてはならない。


 受け取った弾倉の中に、球根から引き抜いたカートリッジを一発ずつ詰める。五発で弾倉が一杯になる。弾丸をつめ終えたものと引き換えに空っぽの弾倉をもう一つ受け取り、そちらにも弾丸を詰めていく。
 少し叩きすぎたせいだろうか、鮫島はいつもより少しむっつりとした顔で唇をへの字に曲げて押し黙っていた。荒っぽく、スナイパーライフルのボルト・ハンドルを引いて銃弾を迫り上げ、押し込んで薬室に装填する。
 俺は双眼鏡に異常がないことを確認してから、軽く問いかける。
「で、何か作戦でもあるのか」
「いや、特にない。というより、そもそも、作戦を使わなければ勝てない相手だとは思えない」
「どういうことだ?」
「考えてもみたまえ」
 鮫島は親指で後ろを指し示した。俺たちの後ろの校舎の壁は、もう蜂の巣と言っても過言ではないほどのひどい状態になっている。
「狙撃手の戦いは常に一撃必殺ワン・ショット・ワン・キルを旨として行なわれるはずだ。的は素人丸出しでブッシュに伏せている学生二名、それも長々とお喋りしながら場所を移動しようともしない一般市民で、片方は迷彩服すら着ていない。それを相手にこの体たらく。敵は狙撃手ではないし射撃屋ですらない。引き金を引いているだけで幸せトリガー・ハッピーな素人ということさ」
 つらつらと並べると、最後に鮫島は舌をぺろりと出して、
「君が横にいるときの、僕の敵ではないということだよ」
 そう言って不敵に笑った。肌こそペイントで滅茶苦茶な色だが、顔形が整っているのは容易に判る。
「……格好つけも程々にしとけ。足元を掬われるぞ」
「時には素直に喜んだらどうかな。あまりリアクションが薄いと僕は寂しい」
「いいからスコープ覗いてろ」
 言葉を遮るように呟いて、俺は双眼鏡を構えた。視界が望遠レンズに縁取られる一瞬前、鮫島が肩を竦めるのが見えた気がした。確認は、何だか見透かされている気がして、したくなかった。
 遠くから、雷鳴のような銃声が聞こえてくる――一発、二発、三発。銃声の方向を追って、双眼鏡を動かす。四発目の銃声と共に、双眼鏡の視界の片隅に銃火が映り込んだ。
 拡大しながらやや右へ。木陰から突き出た銃身が見える。俺は反射的に呟いていた。
「一時方向、真方位三一二に敵がいる、樹の陰!」
「確認した。では鬱憤晴らしと行こうか」
 鮫島が、すぅ、と息を吸う。緩かった眼差しが刃のように尖った。軽く息を吸った状態で呼吸を止め、唇を薄く開いた。銃がぴたりと安定する。もちろん、こいつも俺も一般人だが、さりとて普通の一般市民でもなかった。
 人よりほんのすこし多く、こういう非日常と付き合う機会が多かった。ただそれだけの話である。
 鮫島の人差し指がかすかに動いた瞬間、横にいる俺がひっくり返りそうな銃声が響いた。銃弾が広葉樹の幹にめり込み、貫通する。はみ出た銃身が揺らぎ、木に隠れていた影が、よろめくように数歩下がる。
「命中、だがまだ致命傷じゃない」
 観測結果を伝えるまでもなく、鮫島はボルトハンドルのロックを解除して即座に次の弾丸を再装填し、再び構えなおしていた。
「ベケット曹長のようにはいかないものだね」
 そう言って笑う。
 やっぱり見てやがったか、こいつは。
 また銃声が響き――今度こそ、銃弾は影の頭に直撃した。たたらを踏んでぐらりと傾き、倒れていく。そのシルエットに、不意に違和感を覚えた。妙にごつごつしていて、人間らしくないフォルム。敵の手からライフルがこぼれ落ちる。
 双眼鏡のダイヤルを回して更に拡大する。サメのようにごつごつした黒い肌に、ぎょろりとした目。おおよそ人間には見えないフォルム。倒れる寸前、長い尻尾が傾いでいく身体を支えた。背中を変な汗が伝うのがわかる。
 横を見ると、鮫島が額に脂汗を浮かべていた。自分が撃ったものが何か、思い当たったらしい。
「鮫島」
「……なんだね」
「レンタルビデオでも?」
「ど、土曜に母が借りてきたな。僕は気が進まなかったんだが。タイトルは――」
「言わんでもわかる」
「ちなみに、海外版だ」
「火を噴かないのが救いか」
 益体もないやり取りをする間に、その怪獣は縦に横にと伸長と肥大を繰り返し始めた。すぐに双眼鏡が必要なくなる。平たく言えば、巨大化した。
 指が四本しかないトカゲだかイグアナだかのバケモノに狙撃をやれというのが土台無茶だったんだろう、当たらなかったのも頷けるってものだ。抑圧から解放されたように巨大イグアナが一歩踏み出した。
 ライフルが飴細工のように踏み潰されて、折れた。ついでに揺れた尻尾で木が二本くらいボッキリいった。全長二〇メートルくらいのでかさは、デフォルメされてると好意的に解釈してやればいいのか、それとももう少し小さくできなかったのかと隣のアホに文句をつけるべきなのか。
「さて――」
 鮫島が、すがすがしく笑おうとして失敗した。表情は引きつっていて、笑顔と呼ぶのもためらわれた。
「どうしよう」
「〜〜……」
 俺は、頭を抱えた。抱えざるを得なかった。


 レギュレイターは、DRS患者によって選出される。DRS患者と深い信頼関係で繋がっている、肉親ではない他者が選ばれる場合が多い。
 DRS患者は様々な外的刺激を受けてエピソードを作り出すが、その世界の中で絶対的な力を持つわけではない。エピソードの中では、彼らが畏怖するものが具現化する可能性もある。レギュレイターはそうした対象が姿を現した場合でも、目標を達成するべくDRS患者を支援しなくてはならない。
 不幸にも有能なレギュレイターがいないDRS患者は、隔離病棟で情報を遮断され、兆候がなくなるまで軟禁されることとなる。


 そう、だから俺は、ゆっくりと立ち上がる。


「なぁー、なななな内藤! とりあえずここは一次的撤退を推奨する! ライフルではあれには対抗できない気がする! 僕が言うのだから間違いない!」
「ガキの頃映画館でベソかいてた時のままか、お前は」
 肩を竦めて笑ってやると、柳眉を逆立てていきり立つ鮫島。
「記憶にない! いいから回れ右してさっさと撤退だ!」
「くどい。さっきも言っただろう、頼み事をするときに命令形はNGだ」
 あの映画ではもっと速かったはずだったが、地響きを立てながら一歩一歩進んでくる巨大怪獣はむしろ日本版に登場する方を思わせた。鈍重な動きで一歩一歩進むさまはおもちゃのようにも見えてくる。俺は立ち上がりざまに、鮫島の胸元に手を伸ばした。
「手榴弾、この為だったんだろ、多分」
「あ」
 迷彩服のベストの上、胸辺りにぶら下がった手榴弾をまとめて二つもぎ取って、一つのピンを噛み抜いた。
 まったく、繰り返すうちに随分適応してしまったものだ。いつもつまらなそうにしていた隣のこいつの目がイキイキしはじめた中学二年の夏。あの頃から延々四年こんなことばかり繰り返してれば、そりゃあイヤでも慣れるってものさ。
 グッと溜めを作って、手榴弾を投げ飛ばす。一個目は怪獣の足元に投げた。一、二、三で爆発して噴煙を巻き上げ、怪獣の足を一歩だけ止めさせる。同時に手で弄んでいた二個目のピンを引き抜く。俺は駆け出した。
「――ユウキッ!!」
 後ろから、鮫島が俺の名前を呼ぶ。
 普段は呼ばないくせに、こういう時だけ澄んだソプラノで俺の鼓膜を震わせる。だから、多分、放っておけないんだろう。
 男女差別とか女性蔑視とか言わないでくれ。
 女の子を守る甲斐性は、男の誰もが欲しがってるんだから。
 映画の中とそっくりな声で、巨大イグアナが咆哮する。俺は精一杯地面を蹴ると、空中でまくるように身をひねって、思い切り手榴弾をぶん投げた。直線軌道で猛進する手榴弾は、吼える怪獣の大口へ。
 一、突き進み。
 二、突き進み。
 三、口の中へ。


 設定された目的が達成された場合、エピソードは終結し、現実的な被害の一切は取り消され、『何もなかったこと』になる。エピソードはレギュレイターとDRS患者にのみ記憶され、外部からは一切確認ができない。それゆえに、公的に確認された三名のほかにも、ひそかにエピソードを解決しながら日常生活を送るDRS患者は存在するのではないかという憶測が実しやかに囁かれている。
 エピソードの発生間隔は不定期であり、予測が難しいが、ストレスホルモンの分泌量と関係があるとされ、現在調査研究が進められている。
 治療法の確立の目処は立っておらず、奇病の一つとして数えられる本症候群であるが、これは新たな人間の可能性ではないだろうか。
 夢を形にする人間達が存在するのだといえば、わかりやすいだろう。
 彼らは願望を世界に具現してしまった。退屈から己を切り離すという、ただそれだけのために――

 
 何度か、名前を呼ばれて目が覚めた。固い背中の感触と、半端に高い視界。ベンチに横になっているのだと悟る。左側頭部に柔らかい感触。吹きぬけていく風が、緑の匂いを運んでくる。俺は数度目を瞬き、寝返りを打つようにして上を見上げた。鮫島の心配面がそこにあった。
 薄い唇と整った鼻梁、ボブカットにした茶髪と大きな瞳。先ほどまでライフルを抱いていたのと同一人物とは思えない、きっちりとした制服。薄っすらと唇が開く。
「……内藤」
「……」
「生きているか」
「……どうにかな」
 返事をしてやると、彼女はくしゃっと困ったように笑った。
「馬鹿。無茶をするのは僕の専売特許だぞ。君が先走ってどうする」
「おまえに馬鹿なんて言われるとは思わなかったな。俺が無茶をやったとしたら、それは多分おまえの無茶が移ったからだ」
 身を起こそうとすると、鮫島の小さな手が俺の肩を押さえつけた。
「ならそういうことにしておこう。ついでに一つ無茶をしてくれ、どうせもう、一限目は始まっているのだから」
 柔らかく肩を押さえつける力は、抵抗すればすぐに外せてしまうほどの非力さだったが、それでも何となく俺は身体から力を抜いて、鮫島の膝枕に身を委ねた。
「サボりへの誘いってことでいいのか?」
「数学の授業より日光浴のほうが健康的だとは思わないかね」
「違いない」
 二人で喉を鳴らすように笑う。中庭の空気は清冽だ。グラウンドの方から体育の授業の歓声が聞こえてくる。
「内と……いや、ユウキ」
「ん?」
 不意に、儚げな表情で、鮫島が呟く。
「……ありがとう。僕の世話は、疲れないか?」
「疲れるね」
 あっけらかんと言い放ってやると、あからさまにショックを受けた顔をしたので、続けざまに言ってやる。
「大体、日曜洋画劇場を見るのを止めろと何度言ったかわからんのに昨日もまた見てただろう。そうでなきゃワンショットワンキルだとかベケット曹長だとか言わんだろうしな」
「うっ」
「怪獣が怖ければお茶の間でキャーキャーいいながら映画を見るのをやめればいい。いまどき高校生が一家団欒映画鑑賞ってどんだけ仲いいんだお前ら一家は」
「ううっ」
「そうしてお前が蓄えた暴走的インスピレーションがエピソードとやらになって俺に襲い掛かってくるんだ、正直たまらないね」
「そ、そこまで言うことないだろう……?! 僕だっていつもすまないと思って」
「人の話は最後まで聞け。おまえが言ったセリフだぞ、こいつは」
 涙目で反論してくる鮫島の言を遮り、俺は一呼吸置いて咳払いをした。
「疲れるし理不尽だとも思う。お前は勝手に俺を選んで、俺を勝手に振り回し始めたわけだ。こっちの負担を抑えるように言っても聞いてくれないしな。だけど――」
 ……その、なんだ。
 こんなことは滅多には言わないが。
「要するに、お前は俺を頼ってるんだろ。俺を選んだってのは、そういうことだって思ってる。ガキの頃から隣にいて、おまえのつまんなそうな顔ばっかり見てきた幼馴染としてはだな、お前が楽しそうにしてるのは悪くないって思うのさ」
 鮫島の額に、指をとん、と当てる。彼女は驚いたような表情をしていた。
「だからまぁ、過剰に心配するのは止めにしろよ。それなりに俺も楽しんでる。俺の疲れを心配するなら、映画だの漫画だのを見る機会を減らせ。無くせとは言わな」
 頭が、ぐいんと持ち上げられた。
 唇が触れる感触だけが、妙に夢みたいに曖昧で、甘くぼやける。言葉は喉で引っかかって、そのまま息に戻って肺腑に落ちていった。
「……ユウキが僕の幼馴染でよかったと思うよ」
 ひまわりのように笑うと、彼女は、太陽の光で輝く髪をそっと右手で梳った。
「鮫島……それは、反則だ」
 俺が必死にルール違反を伝えようとすると、彼女は時代がかった仕草で人差し指を左右に振った。
「恋愛に違反行為はないよ。相手の心をもぎ取った方の勝ちさ。それと、ユウキ」
 悪戯っぽく笑うと、細い指を俺の首筋に滑らせて、目を細めた。
「リオと呼んでくれないか。僕だけが名前で呼ぶのは、随分、不公平だと思うんだ」
 そうして一限終了のベルが鳴るまで、俺は鮫島――リオを名前で呼ぶという羞恥プレイを強いられた。そういうのは家でだけにして欲しいね、全くさ。
 太陽が眩しい。俺とリオの日常は、今日も異常を孕みながら回っている。
NOVEL
Copyright (c) 2007 TAKA All rights reserved.